医のこころ、鍼のこころ:その3.感性と論理をめぐって (2000)

<出典情報>
初出百合会びゃくごうかい 会報 第10号」(2000年10月5日発行)

その3:感性と論理をめぐって

石川:日野原重明先生も感性が医療人としての基本だとおしゃっているのは、やはり医者にならなければ、音楽家になるおつもりだった御方だからだと思うのです。丹澤先生も役者であったり、常磐津のお名取りであったり、彫塑をおやりになったりされるから、アートからのご発言なのですね。人生の厚みが治療家としての厚みを増すことになるようですから、さまざまなアートが必要であり、またリベラル・アーツ(liberal arts:教養)も良き治療家となるために必要なことなのでしょう。

●感性を育てる

丹澤:ええ、特に若い人に言いたいのですが、様々なアートに関心を持ってもらいたいと思うのです。
石川:それでは、どのようにすれば感性が磨かれるとお考えでしょうか?
丹澤:環境と教育そして自分自身の気づきと、この三つに大別されると思います。一つにはやはり環境があるかと思うのです。例えば、自然環境に恵まれている所で育ったとか、ご両親が感性豊かな人であったとか、感性を花開かせる人物との出会いがあったとか、教育も含んでそのような大きい意味での環境に恵まれていることでしょう。そして良い環境があるなしにかかわらず、自分で感性を育てる気がないと感性は育ちません。
石川:また「気がない」という気の話しが出てきましたが、日本語にすっかりなじんでしまっています。気はすべての推進力です。中医学では気の働きを五つに分類していますが、推進力はそのうちの一つです。今、先生がおっしゃった感性を育てるという観点からは教育という方法が可能だとお考えですね。
丹澤:そう、まず「その気」がないと物事が始まりません。自分で感性を育てる、自分自身を磨くという意思表示が最低限必要なのです。感覚とは体験で限りなく向上するものであり、何度も何度も訓練することにより一層磨かれるものです。そのためには良き体験が必要となります。質の悪い体験は感覚を悪い方に磨き、磨くわけではなく汚すほうですが、感性を鈍(にぶ)らしていきます。果ては、特異な感性を持った人間に仕立てる可能性すらあります。 ところで、感性には味がわかるとか、香りの違いがわかるとか、音の特性を認識できるとかの主として感覚に訴えてくる感性と、人の苦悩がわかるとか快を感じることができるとかの感情を受容する感性とがありますが、両者ともに五感をとおしてなされるわけですから、感覚性も感情性もこの二つの感性は相互に絡み合い、影響を与えているのだと思います。
石川:感性は知性に対比する語で、知性よりも動物的であって理性的思考を妨げるものとして下位に置かれていたのですが、時代と共に感性の評価が高まってきました。近年では心理学や哲学での重要なテーマです。
丹澤:それは西欧での話ですね。東洋では無意識や身体性の評価が伝統的に高いから感性の位置は決してそんな低いものではなかったはずです。

●自然のなかで

石川:自分の感性を磨くぞ、という宣言が大切であるとのお話ですが、そのあと具体的にはどうしたら良いでしょうか?
丹澤:まず、人は地球に住んでいるという地に足をつけた認識が必要です。都市に住まわざるを得ない近代日本人ですが、できるだけ自然と触れるべきだと考えます。大地の匂いや、森の匂い、また海の匂いをたくさん嗅いで欲しいのです。あなたの出生はまさに自然にあるので、コンクリートの壁から生まれたのではないのです。今の若い人たちには、自分たちが四季の移ろいの中で生きているといった意識はないでしょう?またお米がどのように実るか、落花生がどのようにして実をつけるかも知らないのではないでしょうか?
石川:今の若い人たちだけではありません。おそらく僕らの年齢前後からコンクリート世代です。僕らの年齢は、ちょうど世間を騒がしている難しい年頃の20歳プラスマイナス幾つかの若い人達の親の年代です。ある意味では時代の落とし子であり、仕方のないことでしょうが、確かに先生の指摘する現象が僕らの世代からあるわけです。去年、丹沢麓の川の中州にキャンパーが取り残されて何組かの家族が命を落としました。僕らよりは年齢層の若い人達です。無くなった方々のご冥福はお祈りいたしますが、幼い子供たちへの責任を考えたときに憤懣を覚えるのですよ。残念ながら思慮の足りなかった親のために子供が命を失ったのです。それに一家族ならば撤退したかも知れないと僕は考えています。日本人の集団になったときの危険性もあの事件が象徴的に示していると思えるからです。
丹澤:うーん、中州にキャンプをはるなぞ常識はずれですね。
石川:ええ。それが常識はずれだと教わっていないのではないかと。例えば、子供の時に川遊びをすると、父は、中州は簡単に無くなっちゃうものだぞ、海でも川でも土地の人が泳いではいけないと言った場所では見た目が大丈夫でも決して泳いではいけない、などなどと注意をしてくれたことを思い出します。
丹澤:自然の楽しさも、自然の怖さも、自然に対する敬虔な気持ちも教わっていない?
石川:ええ、そうだと思うのです。また自然に対する敬虔な気持ちこそがプリミティブな宗教観ですが、まさに宗教もそうだと思うのですよ。宗教教育がなされていない。オウムに引っかかるのも一つには親の宗教教育がなされていないからだと僕は考えています。親が無宗教だろうとある宗教を信じていようとも、現実的には地球規模での大事な問題の一つである宗教そのものについて、日本では公私ともに教育がなされていない。
丹澤:私は感性を豊かにする大切なものの一つは自然に触れるということであると考えています。自然との一体感を覚えるというのはなかなか難しい話ですが、幼児や学童の教育期から考え直して、もっと自然の中に自分が生かされているということを確かめていくようにし向けていくということが必要なのだと思います。例えば先ほど自分の若い頃の話をしましたが、挫折感を味わった時など、自然によって慰められ「ああ、自分の周りには自然がある」ということを強く感じたものです。その時、自分の体験としては自然との一体感が生まれるような気がするわけです。その時に意識した自然をどういうふうに表現して、それを自分の中に定着させればいいのか考えるとですね、私はどうしても「宗教」という言葉を借りることが多いのです。

●感性的存在

石川:それは素晴らしいご経験ですね。僕の場合は幾つかバリエーションがあって、挫折感や打ちのめされたときは、ベートーベンと宮沢賢治ですね。
丹澤:ベートーベンのどんな曲を聴くの?
石川:ベートーベンならどれでも励まされます。若い頃はベートーベンでしたが、今はもっと落ち着いた音楽も加わるようになりました。例えば、フランクとかバッハとか。宮沢賢治は詩です。「ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」の『春と修羅』とか、他はベートーベンの交響曲第一から第九までを模した『小岩井農場』という連作がありましてね。先生のおっしゃる自然に対しては恋しくなるという表現でしょうか。仕事に疲れてきた時には、もう恋しくて会いに行きたい、抱かれたいという気持ちでしょうか。
丹澤:芸術が人を感動させるということはそういうことでしょうね。作者は必ずしも人々を励まそうとは思っていないのでしょうがね。時間と空間を越えて人を感動させる。人によって個人差があるでしょうけど。どのような時に、何かによって励まされたり、インスピレーションを受けたりするのかは。ともあれ、それが自然であれ、芸術であれ、芸能であれ、美であれね。人間は生まれながらにして感性的存在であるということです。
石川:ええ、これがまぎれもない人間の存在の一部分であるのに、この事を忘れている事例が多いのですよ。科学派といわれる人たちの頭こんこんちきもそうですが、極端に位置するカルト的な集団もそうです。例えば、身近に本当にあった話なのですが、オウムではないのですが、周りの人々がどんどんある「教祖」に魅了されて行くのです。僕も彼の話がたいへん面白いので女房を連れて数回聞きにいったほどです。そこにある時、中国からの中医師がいまして盛んにメモを取っているのです。興味を覚えて皮肉の意味で「話を信じているの?」と尋ねたら、「いいえ、私は唯物主義です。でも、この人の発想はすごく面白く、参考になる。」と答えていました。まあ、それだけ面白いのです。人を魅了するものは持っている。ところが、聞いているとどうもおかしいのですね。何か大切なものがないと気がついたら、詩がないのですよ、彼の説法の中に。美とか文学とかの感性の部分がまるっきり出てこないのです。
丹澤:それで、石川先生は離れた?
石川:いいえ、まずはその「教祖さん」にその疑問をぶつけました。
丹澤:そしたら、何と答えていました。
石川:はさみで頭の上を切る動作をしましてね。つまり、そんなものは上から繋がった線を切れば良いのだとおっしゃった。(笑)セックスの問題も前に質問したときも同様でした。「性欲なんて簡単です。脳に来ている線を切ってしまえば良いのだから。」と答えた。質問の趣旨をまるでわかっていないのです。感性的存在である人間をまったく無視している。まるで気がついていないのです。逆に言うと、感性的人間の部分をもっていない人だから、そっちの話が説法に入らないのです。まず、それで教祖をはじめこの集団に対して疑念が生まれるのですよ。
丹澤:それでは宗教にならないのじゃない?
石川:ええ、宗教ではなく「○×論理」と標榜しているのですが、限りなく宗教でしてね。1999年3月16日から地球の△□が変わる!と断定的予言を言ったりして、それが魅力的だったりしましてね。言っていることはシュタイナーに近いかな。「論理」なら破綻をきたしてはいけないから、言っていることはせっかく面白いのに、論理としてはとっても危ういので、スピリチュアルの話の論理としてもね。それを僕は心配して、看板を「○×思想」にしたらって言ったんです。そうしたら、このことだけではないだろうけど嫌われましてね。(笑)
丹澤:石川先生、教祖にそのような事を言ったら嫌われるよ。(笑)
石川:ええ、そうしたら案の定総攻撃を受けました。それで30年以上もつきあっていた親友とも別れたし、身近な医師も含めてすっかり向こうのいいなりで、一対大勢というバトルをしました。こっちはまるっきり一人ですから、それはそれは、ずいぶんきつい戦いをしました。精神的なポアーでしたが、中に狂信者がいれば本当にポアーしてくるのではないでしょうか。
丹澤:その団体は大きいの?
石川:いいえ。でも、こちらの業界に近い人がかなり信奉しているのですよ。何人か名前を挙げれば知っている人たちもいるはずです。医師が何人かいるのですが、有名医大の教授クラスがいるのですよ。彼等も決して頭の悪い人間では無いのですが、僕に言わせると感性も論理も共に無いのです。

●癒しは「卑しい」?

丹澤:いわゆる「癒し」系の人達?
石川:ええ、いわゆる「癒し」系の人達です。
丹澤:私も癒しという言葉を時折使いますが、今どき世のブームで簡単に使いすぎるのに違和感を持っています。山折哲雄さんは「癒し」は日本人の近代を生きる覚悟が崩れたところに現れた「卑しい言葉」だと言っています。
石川:癒しという言葉を非常に大事にしている人ほどそう感じるのではないでしょうか。今の「インスタント癒し」風潮や「癒しグッズ」に違和感を覚えるのではないでしょうか。僕なんかもイヤですね。もう少し言葉に対するセンスや、行動と発言に品性があって欲しいものです。何しろ世の中にニセモノの方が多いからホンモノという言葉があるぐらいなのですから。(笑)
丹澤:ところで先生はどこでその教祖を知ったの?
石川:知人の医師の紹介で、面白い人がいるよって。その教祖は医師を利用したいフシが見えていましたから、かなり親しい関係にいまして、紹介されて僕も何回か身近にお会いすることが出来たのです。説法自体は、先ほど言ったように、たいへん面白いし有意義な話しも多いのです。これはこれで認めなくてはいけません。
丹澤:それで、教祖に直接いろいろ質問をした、というより批判をした?(笑)
石川:いいえ、いいえ。医学だろうが宗教だろうが道を求めているならば、全うに答えなくてはいけません。もちろん相手のレベルをみて答えるでしょうが。ところが、僕の経験では論理で答えられなくなると、怒るか、相手を消すのですね、日本では。宗教だけの世界ではなくって。消し方はいろいろあるのですが、無視したり、社会的に葬ったり、本当に消したりして。
丹澤:日本人はディベート(debate:討論)がへただから。相手の人格攻撃になったり、逆に人格攻撃であるととらえてしまう。でも、石川先生はよくもちこたえましたね。まるで一人になったのでしょ?
石川:ええ、実はこれが初めてではないのでして、教祖級との戦いはすでにこれで3回目です。(笑)
丹澤:ワッハハハ、やっぱり。しかし、これらの問題は根深いのですが、ひとつには教育の質に帰するのではないのかな。日本の教育の問題ですけど、まあ医療に限っても、教育は欧米より著しく遅れているのを認めざるをえません。

●論理教育とシミュレーション教育

石川:今三大新聞が医療の問題をキャンペーンのようにして取り扱っていますが、その関連記事の中で八尾総合病院院長が臨床の基礎トレーニングの重要性を50年間放置した国とアメリカのようにきっちりとやってきた国との差は厳然たるものがあると言い切っていました。また、日野原先生も著書の中で日本の病院は半世紀遅れていると述べています。しかし、鍼灸界はもっと遅れている。
丹澤:そのとおりだと思いますよ、医療界も鍼灸界も。
石川:アメリカのある小学校ではディベートの授業があって、子供たちに自由に討論させている。人格攻撃の類や非論理的になったら教師が注意をするのですね。例えば白人の子がヒスパニックの子に「お前の親父は税金をちゃんと払っていないくせに」と言うと、教師がすかさず間に入って「今の意見はこの討論とは関係ない」と指摘するのです。でも、寂しいことに僕が幾つか作ったNPO(nonprofit organization:非営利団体、市民活動団体)での話し合いのレベルは実にこの程度なのです。「お前働いていないくせに」とか「あの時出席してないくせに」とかいう議論が思ったより多いのです。「働いていないこと」や「出席していないこと」や「税金を払っていないこと」と、ある議題の善し悪しを話し合う内容とは関係ないのに、日本では往々にして関連づけられるのです。ロジックではなく情緒的に繋がるのですね。残念ながら向こうの小学生レベルです。
丹澤:今の話はふたつの部分を含んでいますね。本だけで学ぶのではなく体験教育とかシミュレーション教育がしっかり行われていること。今のディベートの授業は社会人になったときにいかにうまく社会とコミュニュケートするかの訓練です。もう一つは議論や推論に必要である筋だった論理を学ぶということですね。最初のシミュレーション教育ですが日本ではたいへん少ないのが現状です。特に医学教育にはもっと多くのシミュレーション教育が取り入れられた授業が行われなくてはいけません。しかし、オスキーが医学部教育に広まりつつあるので、今後は少しずつ増えていくのではないでしょうか。ところが問題は鍼灸界です。
石川:卒後教育がぜんぜんない。
丹澤:ええ、卒後教育という社会教育の問題も大きいのですが、卒前教育が医療人の教育としては十分ではないのです。PT(Physical Therapist:理学療法士)や看護婦は卒業前の半年間は完全に医療の現場に放り出されるわけです。ところが鍼灸師の教育過程では医療現場に接する機会はまったくありません。鍼灸は実際に社会に出た段階でPTや看護婦の職種と同様に、医者以上に病者に親密に接する医療ですから、何とかして卒前教育で取り入れていく必要があります。
石川:先生はそのためにオスキーを大学や後藤学園で取り入れるようになったわけですね。
丹澤:私が学生を育てるために重点をおいていることは、ほとんどがシミュレーション授業です。これからの世の中は、老人疾患や慢性疾患の患者さんが体調維持のために鍼灸治療に訪れる機会が多くなってくるはずです。そのことを卒前教育でどうしたら良いのか思案したらシミュレーションの教育という方法以外にはないと考えたわけです。

●直感とは

石川:だいぶ前からお考えになっておられましたね。冒頭、先生は医療の本質的な部分を一足早く歩むと申し上げましたが、今度の場合もまさにそれでした。
丹澤:でも、私自身にけっして特別なノウハウがあったのではなく、必要があってやってきただけでしてね。そうしたら、これこそが先端的な教育なんだということがわかってきたのです。
石川:必要があって行動していた先に本質的なものが見えてくるのは、僕はまさしく感性や直感がそれを掴むのだと思うのですが。
丹澤:直感は非科学的なものだととらえがちですが、私はけっしてそうは思いません。自分の意識下で積み上げられてきた経験の集積から生まれてきているもので、目の前の状況を判断したり、知識を生み出す能力といえます。それは自分にとってはまことに論理的なものなのです。
石川:それとまったく同じことをあのアイシュタインが述べているのですよ。「知性でなく直感が新知識の生みの親だ」と断言しています。
丹澤:そうでしたか。それは心強いな。(笑)
石川:しかし、オウムの信者だった医師達を始め、真面目だけが取り柄の人達は直感がはずれましたが。
丹澤:ええ、その前に感性がなければいけないと思うのですよ。美しいものを美しいと感じたり、人の苦悩や自分の楽しみを感受できる感性がないと、ほんとうの直感は育たないものだと思います。感性に導かれた直感でなければ。そして、美しいものを美しいと感じたら、それを表現することです。自分流のやり方でね。それが感性をより磨くことになるのです。

医のこころ、鍼のこころ【完】

医のこころ、鍼のこころ:その2.シンパシーとコンパション (2000)

<出典情報>
初出百合会びゃくごうかい 会報 第9号」(2000年9月9日発行)

その2.シンパシーとコンパション

●治療家は役者たれ

石川:先生が常々おっしゃっています「治療家は診療の場における役者たれ」という主張も、先生が昔役者志望であったことを強く想起させ、先生の来し方の人生と深い関連性があることを覚えます。
丹澤:私が「治療家は診療の場における役者たれ」と言っているのは、治療家も見られている存在であることを主張したいのです。患者さんも自分のあらゆる知識や経験を総動員して、自分のかかる治療家を「医療人としてほんとうに大丈夫」であるかの判断をしようとしているのです。そのためにも、治療家は話の内容はもちろんのこと、しぐさや態度あるいは服装まで、自分自身の身なりを気にかけて頂きたいと思うのです。
石川:ええ、そう言ったお話もすごく大切なのですが、先生のご趣味やお考えを聞くたびに、また今日のように先生の今までの人生を振り返ったときにそこから得られる事実と、僕が先生に教えを受けてから耳にする医療に関する言葉の端々とが、関連性をもって結びつき、生まれかえってくるのです。冒頭失礼にも申し上げたフィールドワークの研究対象と申し上げたのはこのような意味を込めてであります。
丹澤:うーん、自分自身は自分を他人ほど客観的に見られないものですから、石川先生のおっしゃることもわからないわけではありません。
石川:と申し上げるのは、意識するか意識しないかは別として、人は人生の経験の中で思考が形成されて行き、日常の何気ない行動や発言にも繋がっていくわけですが、それが物事を深く考えられる人物ほど、すべてが大きな関連性の中で一生の物語が進んでいくのだと思うのです。先生の人生の歩みを聞いていると、今までのご経験のすべてが網の目のように関連しあって、医療や鍼灸界に関してのご発言になっているのだということを、感ぜずにはおられません。
丹澤:確かに、治療家は役者たれという言葉自体には、「治療の場」という「劇をする場」を想定している発言ということになりますけれど。
石川:役が違えれば、治療者も患者になるわけです。オスキー(OSCE:Objective Structured Clinical Examination、客観的臨床能力試験)でも役を変えることがありますが、実際の日常でもあり得る訳です。

●臨床のまなざし

丹澤:人生においても役を取り替える、役が取り変わったならば、自分はそれにどう感じてどう対処するだろうかといったイマジネーションは人間性を磨くのに必要な感性の一つでしょう。患者さんを相手にしたときに、相手の身になって、自分がこの病気になったときのことをイメージして、おもんばかれるかどうかということです。それが患者さんに対する共感を土台にした思いやりであると考えています。
石川:役者の資質である想像力や対象と融合する感性があって初めて、共感が形成されるものだと思うのです。福祉にしろ、医療にしろ、また教育の場面にしろ、生身の人間を扱う現場の担当者が想像力を欠如していれば良い仕事はできません。
丹澤:臨床のまなざしは共感から芽生えるのですが、またそれはイマジネーションだけでもありません。身をもって病者を支えることによってはじめて感得できるものです。
石川:しかし感性が先に無いと、病者やそれを取りまく現実に身をもって対処することにより自分自身が潰されてしまう危険性もあります。何年か前の東海大学病院の若手医師による安楽死事件も現実の経験の重さに混乱したのだと思います。むしろ、真面目な青年だったのではないかとも思いますが。
丹澤:フィリップ・タマルティ教授という人が「臨床家とは、人間が病気から受ける衝撃全体を最も効果的に取り除くという目的を持って、病者をマネージする人である。」と述べています。病者が受ける衝撃をやわらげていかなければならない医師が、自分自身が大きな衝撃を浴びてしまった例なのかも知れません。
石川:どうすれば衝撃を受けないで共感に根ざした患者マネジメントが出来るようになるとお考えでしょうか?

●智慧と感性

丹澤:たいへん深い本質的な問題だと思います。まず人には知恵というものがあります。内的思索によって物事を普遍的、本質的に識別していく学問として哲学がありますが、フィロソフィー(philosophy)の原義は「知恵を愛する」という意味です。ご存知のように知恵とは知識と違い、学識経験や単なる学歴によって保証されるばかりのものではないのです。そのあたりは仏教ではたいへん面白く解説しています。知恵はこっちの方の字で「智慧」と書き、生得的に備わっている智慧、他人から教えられて得られる智慧、内的思索によって得られる智慧、そして修行実践の中で得られる智慧の四つに分けています。 最初の生得的に備わっている智慧は因縁生起でしょうが、他の三つは日々の学習であったり生活実践であるわけです。特に最後の修行実践の中で得られる智慧とは、我々臨床家にとっては病者に身をもって対処することによって得られる智慧のことでもありましょう。まず智慧があるということです。その智慧を日々感性によって磨いていくと同時に、感性も智慧によって磨かれていくわけです。
石川:智慧と感性が臨床家としての出発点とお考えなのですね。
丹澤:聖路加病院の名誉院長である日野原重明先生は臨床能力に五つの項目を挙げていらっしゃるがその筆頭に感性を挙げています。大いに賛同するところですが、私はその感性の前提に人間としての智慧があるのではないかと考えています。そして臨床家としては何はともあれ「感性があるかないか」の一言が臨床能力のあるなしを表し得るものだと思っています。
石川:仏教では智慧は、悟りを得るための智慧であり「般若」と音訳されていますが、般若を体得するための方法として「方便」が必要とされます。また密教では特にこの二つを陰陽の組合せ概念にして、ブッダなる者はこの二つを合わせ持つとしております。衆生の実践レベルとしては智慧があり、感性があり、そして身をもって体得するための方法として方便が、我々の方便としてはまさに治療行為となるわけですが。

●思想を持った臨床

丹澤:仏教的な話しではなくとも、それはたいへん基本的な組合せでしてね。西洋科学思考でも同じです。智慧を愛する哲学があって、あるいは思想があって、そして技術がある。「科学」と「技術」というのも実はそのような組み合わせなのですね。そして、「科学技術」と一緒にしたときに、また「思想・哲学」という組み合わせがあるのです。ところがリハビリテーションでもそうですが、得てして、リハビリという技術は導入されても、その背景である思想、哲学が置き忘れられるのですなあ。特に医療は単なる技術だけではないのです。
石川:先生から教わった今のお考えは金子朝彦さんとの対談の時にも使わせて頂きました。(「中医学の育て方」、TAO鍼灸療法、第3巻第2号、源草社、通巻10号)そして、そこでも中山茂教授の意見を述べたのですが、横浜での第48回全日本鍼灸学会で演者としてお呼びした科学史家の中山教授も著書の中で(『日本人の科学観』創元新書、1977)、輸入文化は本質的なものをいじれない、末梢的なものしかいじれないから、微にいり細に入りいじりまくると述べています。本質には思想や哲学があるから、表面上の技術だけ真似しても、そこまで踏み込まないと独創的なものが創れないということだと思うのです。
丹澤:そういうことです。そして更に一歩進んで、私は思想を持った医療というものが大事であると考えています。それは今までにお話ししてきた智慧であり、感性でもあるわけです。つまり、想像力であり、思いやりであり、感受性であり、慈悲であり、共感であり、人間性に対する深い洞察であると思うのですよ。それが論理的な思考、すなわち分析と統合を合わせもった人の能力ですが、それと先に述べた智慧や感性とがひとつになった思想をもつべきだと主張しています。
石川:自己の臨床に思想を持てと。
丹澤:ええ、単に腰痛を取るとか、五十肩を治してやったということではないはずなのです。今日只今の針灸診療がその人にどのような影響をおよぼすか、その人のライフステージにどう関与しているのか、その人のQOLの向上にどれだけ貢献できるのか、社会的存在としての病者を如何にマネジメントするかを思慮した診療でなければならないはずです。加えて当然の事ながら基本的な身体診察能力と高い治療技術があれば、患者の苦悩を軽減することができるのです。このことが先ほど述べました「臨床家とは人間が病気から受ける衝撃全体を最も効果的に取り除くという目的を持って病者をマネージする人」である、という意味なのです。
石川:東海大学の医師も智慧や感性を、そして自己の臨床にもう少し確固たる思想を持っていれば安楽死の是非は別にしても、結果は違っていたものになっていたかもしれません。実は人ごとではなく、僕も開業してほどなく中年女性の筋萎縮性側索硬化症の患者さんが来院したのですが、まず夫が来て病名を頚椎症にしてくれと懇願されました。徐々に症状が進行していくのですが、患者さんは不安で盛んに僕に質問するのですが、見当違いの答えを出さなくてはいけません。毎回、毎回嘘をつくことと、現実に悪化していく患者さんを目の当たりにして、「ああ何てつらい職業を選んでしまったのだろう」と宮沢賢治の童話に出てくる夜鷹のように毎日悩みました。ある日、ストーブに手をかざしながら苦悩していると吐き気がありまして、あれ?どうしたんだろうと、気がつかないのですね。その後何日かして下血になりまして、ようやく十二指腸潰瘍だとわかりました。その頃に、僕も自己の臨床に確固たる思想があったならば十二指腸潰瘍にはならなかったであろうと、今から振り返ればそう思えます。

●シンパシーか、コンパションか

丹澤:東海大学の医師もその結果はさておいて、石川先生も良い治療家であるほうなのだと思います。そんなことに何も感受性がなく、考えもしない治療家がたくさんいるのですから。悩む必要性はあるわけです。人生の不合理や悲哀を、特に患者さんを通じて感じることから、真の医療人としてのスタートがあるのではないでしょうか。人間の悲哀を特に病気に対する苦しみと悲しみにシンフォニー(symphony:共鳴)してシンパシー(sympathy:共感)が生まれるのです。そして、他者の危急に対して救おうとする「情」がほとばしるそれがコンパション(compassion:悲哀を共にする)であります。医療人の「共感」はコンパションであるべきだと考えています。
石川:パションというとどうしてもルオーの作品が思い浮かびますが。
丹澤:そのとおりでしょう。パションとは受難の意味ですから。深い深い悲しみであり、それはキリストが十字架に磔(はりつけ)になった悲哀です。com-とは「共に」の意ですから、共に悲哀を味わう、共に悲哀を経験するという意味なのですね。
石川:いつぞや先生に、コンパションではなくシンパシーではないかと質問したのですが、先生は少しお考えになった後に「やはりコンパションなんだなあ」と答えておられました。今日は、この答えを是非はっきりさせたくて、この本をもってきたのですが、養老孟司氏と森岡正博氏の対談の中で(『生命・科学・未来』ジャストシステム、1995)森岡正博氏はこう言っているのですよ。「目の前の末期患者は死んでいくけど、ケアしている自分は生き残ってしまう。末期の場合、ケアされる患者とケアする人のあいだには、すごく大きい深淵が横たわっている。死ぬのはあなたであって、ケアしている私ではない。」そして「看護では、共感的理解ということをいうわけです。目の前の患者さんに共感的態度で接することによって、こころと身体のケアが達成しやすくなる。しかし、死が決まっている末期患者に対して、ほんとうに共感的理解ができるのかという問題があるのです。そんな教科書的な答えが通用するのか。ほんとうに共感的理解に徹すれば、『私もあなたと一緒に死んであげます』ということになってしまわないか。それでは心中であって、ケアとはいわないだろう。でも、そこまで行かない共感なんて、なんかウソっぽいでしょう?この問題は、友人たちと『「ささえあい」の人間学』でしつこく議論して考えてみましたが、いまだによくわかっていません。」と述べています。僕もその意味ではシンパシーであって、コンパションではないのではないか、かりにコンパションでは自分の身体がもたないのではないかというように考えていました。
丹澤:・・・・・・・・。(しばし沈黙)それはねえ、石川先生、一つには森岡氏は臨床現場にいないのですよ。彼の言おうとすることは分かります。しかし、彼は病者に身をもって対処するということを経験していないのですよ。だから、ケアが一方的なものだと思っている。ケアする方もケアされることがあるということが、両方向性でもあることが、彼には理解されていない。もちろん、私の言っていることは形式的なケアではなく、限りなく病者との共感ができたケアの場合を指していますがね。良いケアができたと思ったときは双方向性が成りたっている時なのですよ。そして、病者と治療者が共有する時間の流れがあり、時がケアそのものを育むことも森岡氏が分からない大事な要素なのですな。彼の言うケアは、言うなれば実験室的なケアでね、流れを断ち切って是か非かを論じているきらいがあるな。ところで、石川先生は末期患者さんやかなり重度な身障者の方々を診ていますか?
石川:ええ、いま3人でしょうか。末期がんが2人で、もう一人は低酸素脳症で痙性麻痺になった5歳の男の子です。
丹澤:で、今の問題に関連してはどういう風に対処しています?
石川:ただひたすらに患者さんに誠実であろうと務めています。
丹澤:そうでしょう。それが現場にいる人の普通の感覚ですよ。そういった感性を失ってはいけないと主張しているのです。そしてその誠実さが、ケアする側とケアされる患者とのあいだに存在している深淵に染みいることを我々は願っているのですよ。染みいることができたら、彼岸と此岸の別れの時にお互いに感謝の念が生じるのではないでしょうか。
石川:ええ、確かにそう思います。
丹澤:もう一つはプロの意識かな。救急医療で患者さんを診るときには、医者も一緒に家族と同様にあわてふためいては当然だめなわけでね。そんな医者にかかったら患者さんが不幸ですよ。(笑)プロとして冷静に的確に処置するように訓練させられているのです。それと同じように、最初から一緒に心中してくれるような医療者を選んでいたら、これはたまったもんではない、危なかしくってしょうがない。(笑)再三再四述べますが、我々はプロとしてタマルティ教授が言う「人間が病気から受ける衝撃全体を最も効果的に取り除くという目的を持つ」ことを忘れてはいけないのです。
石川:専門家としての目的があるということですね。
丹澤:さっき、ルオーの話がでましたが、彼は今世紀最高の宗教画家と言われピカソと並び称されている大家ですが、キリストや道化や娼婦を描き人間の悲哀を表現している。ところが後期の作品ではしだいに救いと恩寵の主題に移るのですね。これは私が医師として勝手に想像しているのですが、彼は描くことにより、あるいは描ききって、キリスト者として自らを癒していったのではないでしょうか。それは芸術として私たちをもまた癒しているわけです。これも森岡氏の設問に対しての返答のつもりですが、答えになっているでしょうか?

●医のアート

石川:はい、よく分かります。私たちの立場もまたそうであるわけですね。医もアート(art)ということですね。ルオーは私たちの立場でもあり、患者の立場である。また私たちも、治療者の立場から患者の立場に役を変えることがある、この人生の舞台では。役も固定しているものはないし、そもそも癒す側と癒される側と区別することができないのですね。共通の場をつくり共有することになる。
丹澤:古代ギリシャではさまざまなアートがあり、医もアートであったのですが、現代ではアートの部分が浅薄なものになってしまった。アートの部分とサイエンスの部分と両方が必要なのです。ちなみに医療面接とはこの両方を会得することなのですよ。
石川:アートは患者さんとの信頼関係を築く部分で、サイエンスの部分は鑑別診断や論理思考の部分ですね。
丹澤:石川先生は共通の場をつくり共有するとおっしゃったけれど、それが共感なのです。我々の言葉でいうとそれが「気」であると思うのです。
石川:ええ、そう思います。共感の場をつくり得た二人は「気に入り」、「気が合う」のですから、気の交流が始まります。そもそも他者と、路傍の石とでも、気の交流があるべきなのですから、それをより意識的に行うことなのでしょう。互いに「気を引いたり」して、早く互いの「気が置ける」関係になるように努力することです。
丹澤:「気まずい」関係になるようではいけません。(笑)またより意識的に行う、一歩踏み込む行動となるのが、実はシンパシー(sympathy:共感)からコンパション(compassion:悲哀を共にする)への移行なのです。
石川:よくわかりました。前からパション(passion)にどうして受難と情熱の意味があるのか疑問に思ったものです。漢語の「情」には辞書を引くと「ほんとうの気持ち、本心」と言った意味があるのですね。日本語の「なさけ」も辞書を引くと「思いやり」と出てきます。つまり洋の東西ほぼ同じ意味であったのですね。他者の危急に対して救おうとする「情」が、「ほんとうの気持ち」や「本心」や「思いやり」がほとばしる、それがコンパションであると。先生がおっしゃった意味が今日よく分かりました。  日野原重明先生も感性が医療人としての基本だとおっしゃっているのは、やはり医者にならなければ、音楽家になるおつもりだった御方だからだと思うのです。丹澤先生も役者であったり、常磐津のお名取りであったり、彫塑をおやりになったりされるから、アートからのご発言なのですね。人生の厚みが治療家としての厚みを増すことになるようですから、さまざまなアートが必要であり、またリベラル・アーツ(liberal arts:教養)も良き治療家となるために必要なことなのでしょう。

「その3:感性と論理をめぐって」へ続く

医のこころ、鍼のこころ:その1.役者と出家、とその弟子 (2000)

<出典情報>
初出百合会びゃくごうかい 会報 第8号」(2000年8月8日発行)

その1.役者と出家、とその弟子

石川:医療やそれを取り巻く周辺領域や、また社会事象に関して広くお話を伺いたいと考えております。と申すのは、先生のおやりになられていることが、当然全部のことを僕は知らないわけですが、それでも大きな関連性の中で先生の人生の歩みがなされて、医療や鍼灸界に関してのご発言になっていることを、感ぜずにはおられません。
 先生がご自分の専門診療の中で、自然と針灸治療の道を選択されて鍼灸界の指導的役割を担って行ったこと。私どもにとってはそれが幸運であったわけですが、そのことはたくさんあり、特に東京や神奈川の関係者は恩恵に浴したわけです。
 先生が最初は産婦人科医であったこと、そしてリハビリテーション医になり、その間中国医学を診療に取り入れたこと。生命の誕生から、養生や立命、そして高齢者医療や福祉と、医療の本質的な部分を選んでいる訳です。
 また趣味も幅広く常磐津もお名取りだそうで、日本橋芸者の三味線の音程を正したという逸話も聞いております。彫塑も日彫展に入選されるほどで、またガンからの生還も含めて、お一人で生老病死を地で行く東洋思想の体現者みたいな方であり、大変失礼な物言いですが、僕に取ってはもうそれだけで充分フィールドワークの対象となる人物でいらっしゃいます。それですから、ここは是非いろいろなお話を後進のために伺えればと思うわけです。

●どどいつどいどい

丹澤:石川先生のフィールドワークの研究対象にされてはかなわないなあ。(笑)でも、日本橋芸者の話は作話でしょう。どなたから聞きました?
石川:こういう取材源は明かさないのが原則ですが、簡単にばらしますと湘南鍼灸専門学校の君島忠勝先生です。(笑)
丹澤:ああ、あれね。それは、都内のとある料亭での話ですよ。年次は忘れてしまいましたが、小田原で開催された全病理の学会の打ち合わせの会のあとの懇親会で、ひょんなことから小唄か都々逸(どどいつ)を披露する羽目になりましてね。ちょっとうなったら芸者さん達が座り直したことがありました。その時の話かな。
石川:先生の芸に触れて居ずまいを正したわけですね、これは素人ではない、敬意を表さないといけないと芸者さん達が感じた。うーん、さすが通人。
丹澤:芸者さんと旦那衆が歌う都々逸はだいぶ違うのですよ。粋(いき)かげんが違う。玄人の都々逸は艶っぽさが濃いのですが、素人がこれを真似るといやみがでる。いやみなく、しかも江戸前の洒脱な都々逸をやったものだから座り直してくれた。
石川:邦楽の中でも難しいと言われる常磐津(ときわず)のお名取りですから、旦那芸の域をはるかに超えていたわけですね。常磐津は何年でお名取りに?
丹澤:5年ほどで取りました。

●歌舞伎十八番

石川:して、常磐津を選んだのは?
丹澤:邦楽が好きでしたし、中でも「語り」を主とした浄瑠璃系のものをやってみたかった。考えてみると歌舞伎の影響が大きいですね、子供の頃からよく連れて行かれた。
石川:お父様に?
丹澤:そう、幼稚園児の時分から歌舞伎にはよく連れていかれましてね。今でも良く覚えていますが、「矢の根」という曾我兄弟の物語を題材にした所作事がありますが、床の間を舞台に仕立てて、その曾我五郎の所作の真似をしては拍手喝采され、いい気になっていたものです。父親ゆずりの“遺伝子”かな。
石川:お父様は財界の大御所でしたから、芸事にも精通しておられたわけですね。当時の人達は今よりも気宇広大で、心にもゆとりがあったように見受けられますが。
丹澤:まさにそんな感じですね。遊びというのは「ハンドルのあそび」と言われるように「ゆとり」の意味なのでしょうね。車の安全を保証するのがあそびであるし、人生や仕事の中にもあそびが必要でしょう。また遊びが文芸につながるのは洋の東西おなじです。
石川:今の方が経済的には豊かなはずですが、ゆとり、あそびがなくなり、ぎすぎすしています。逆説的ですね。
丹澤:確かにひと昔の人の方が遊び心はあったのでしょうね。そんな父に学生の頃、その当時は演劇にこっていましたが、夏の夕暮れ時などに突然「庭に出ろ」と言われて、対面して小唄や都々逸の口伝を受けたものでした。
石川:そうですか。なんだか映画の一シーンのようなその情景が浮かんでくるお話ですね。また、幼稚園児から歌舞伎小屋に通っていたのではかないませんねえ、粋人になるわけです。演劇は学生時代からですか。

●役者志望

丹澤:ええ、本当は私は役者になりたかったのです。今から思うと熱き志望だったと思いますよ。ところで、石川先生は七沢リハビリテーションで研修をしておられた当時は東洋医学の治療室に行く渡り廊下のところに、舞台付きのホールがあったのを覚えていますか?先生がおられたのはいつでしたっけ?
石川:1980年から研修制度の期間は1年間だったのですが、2年間ほど押しかけてご指導頂きました。
丹澤:そうですか。そうすると、まだ増改築前だから、舞台付きのホールはあったはずですね。気がつきませんでした?
石川:ええ知りませんでした。
丹澤:そこでも芝居をやったぐらいですから、医者になっても演劇は忘れられなかったのです。そう、そういえばインターンの時にもやったのですよ。インターンは国立東京第一病院でした。その敷地の中庭に舞台付きの講堂がありましてね。もとは陸軍第一病院ですから傷病兵の慰問のために作られた建物ですが、そこでチェーホフの「熊」をインターン仲間と演じたところ大変評判になった。だって、インターン始まって以来の非医学的文化的行為だったものだから、病院中の評判になりましたよ。(笑)
石川:それは楽しいお話ですね。チェーホフであることもその時代の息吹を感じますし、病院劇場初演をシェークスピアやモリエールでなくチェーホフを選んでいることも、振り返れば若き医師の心のありさまを象徴している気もします。そういったテーマは後に時間が許せば触れさせて頂くことにして、そうすると、もともとが演劇からで、その後すぐに常磐津へ?
丹澤:いや、いや、すぐにではありません。芝居は仲間がいるわけですが、いよいよ仲間がいなくなった。仲間がいなくなったら一人芝居をやるよりしょうがない。そこで「語り」に転向したというわけです。
石川:今でもよくお芝居や映画を見に?
丹澤:それが、からきし見ないのですなあ。役者が役作りをするための苦労や思い入れが自分なりに分かってしまったり、自分ならこう演じるなんてくだらないことを考えてしまうので、存分に楽しめないのです。

●山下先生との邂逅

石川:お聞きして先生らしいなあとも思いますが、演劇に打ち込み過ぎたのでしょうか、先生の当時の情熱を感じるところです。文字通り「情」、「パション」ですが。ところで、国立第一病院では山下九三夫先生とお知り合いになられるわけですね?何年頃のお話で?
丹澤:ええ、インターンの指導教官でした。昭和26年ですね。
石川:僕が生まれた年ですね。山下先生は指導教官でおられた。先生とは幾つ離れていらしたのですか?
丹澤:ちょうど10歳ですね。その当時はこわい先生でした。
石川:しかし、指導教官は破天荒なインターン生に苦笑いをしていませんでしたか?
丹澤:いいえ、いいえ。それが、その年の忘年会の催し物に、なんと外科の医局が演劇部を作って旗揚げ公演をやりましてね。山下先生がおんみずから音頭取りをされて、しかもご自分でもりっぱに主演の一人としてフランス現代劇を演じておられた。そしてその演出を私が仰せつかった。(笑)
石川:おもしろいですね。すっかり孫悟空のような新人のほうに、いつのまにかペースを奪われてしまった。
丹澤:いやー、そうでもありませんがね。しかしよっぽど楽しい思い出だったらしく、先生の晩年、私と二人で飲む機会があると、最後には必ずその当時の話になり、ほんとうに楽しそうに追想しておられました。(笑)
石川:山下先生とは直接にお話したことはなかったのですが、いつか学会で丹澤先生に早足で近寄って来られて、急ぎでお話ししたかった様子だったのでしょうが、丹澤先生は初対面である僕ら青二才を、三人でしたが、丁寧にご紹介して頂いた。山下先生は一人一人会釈をしてくれました。
丹澤:へえー、そんな時がありました?
石川:ええ、その情景が今でもはっきり両先生のお顔の表情から残っているのですよ。僕は大変恐縮したと同時に、感銘を受けました。青二才に対しても、洗練されたお二人のふるまいに、大人(たいじん)を目の当たりにした感がありました。そしてインターン以来ですか、山下先生とのご友誼は?
丹澤:いや、それが面白い関係でしてね。インターンに引き続いてレジデントとして第一病院に残った3年間はお付き合いいただいたのですが、その後は約20年お会いしていなかったのです。
石川:へー、20年間もですか。
丹澤:私は厚生省の技官を1年間したのですが、父の命によりその後は実業界に転じていたのです。
石川:厚生省におられたことが、後々先生の人生に何かと関与してくるわけですね。その当時には夢にも思わなかったことでしょうが。そして、実業界では何をおやりになったのですか?
丹澤:製薬会社です。そういえば、製品の一つにカプサイシンの入った膏薬がありましてね。その販売のために全国行脚したものです。製品の売り上げを伸ばすために、ツボに貼ってもらえば一人が何枚も使ってくれて消費も多くなるばかりでなく、効き目もいいのではないかと考えて、ツボの効用などを販売代理店に説明して歩いたのを思い出します。
石川:我々の世界に近づいて来るお話ですね。そして、山下先生は山下先生で別に鍼灸や良導絡をおやりになるわけですね。不思議ですね。実業界は何年おられたのですか?
丹澤:13年間です。

●医療と「寄進」

石川:そして、そこで道元さんに会われた?
丹澤:ああ、それはね、お恥ずかしい話で、鼻先にぶらさがった程度の知識しかありませんが。しかし道元の思想に触れて、広い意味での宗教観を身に付けることができたと思います。実は経済界にいたときに、どうしても許せないある背信行為に出会い、自分の人格が崩壊するような精神的な危機に見舞われた時がありました。その時に縁あって禅門を叩きまして、5年間ほど参禅しました。その時に座禅の傍ら「正法眼蔵」を読みふけったわけです。
石川:医学界から離れていたことが先生の経験を重層的にした。
丹澤:今思うとその後の人生のターニングポイントであったと考えています。自分の世界を自分から離れて少しでも客観的に眺めることができるようになったのです。そしてもう一度医療に復帰するにあたって、自分が医療に「寄進」できるのは何であろうかということを考えることができたのです。
石川:そして、リハビリテーションの道を選んだのですね。
丹澤:ええ、東洋医学を良き伴侶にしましてね。(笑)
石川:先ほど、膏薬のお話で経穴に気がついたとおっしゃいましたが、鍼灸の存在はご存知でした?
丹澤:子供の頃、麦粒腫(ものもらい)をおふくろさんがお灸をすえてよく治してくれました。これが不思議に治るんですよね。ですからお灸のことは体験して良く知っていました。また私が医療に復帰した当時のリハビリテーションの理学療法の現場は「あ・は・き師」でPTの資格を得た人達が専ら担当していたのです。理学療法士の養成学校の卒業生はまだ極わずかしかいない時代でした。そんな現場が、物理療法の中に鍼灸があることを気付かせてくれたのです。しかも運動器の痛みに有効であることを知って、「これは使えるっ!」と思いましたね。
石川:先生はそうおっしゃるけれども、リハビリテーション医はたくさんいるはずでして、その中で先生だけが東洋医学に気づいたわけですから、やはり先生のお考えや今までの人生のご経験が鍼灸を選択させたのではないでしょうか?
丹澤:ええ、そうかもしれません。私が考えている鍼灸医療の基本理念とリハビリテーション医学の理念とは大変近似していると思えたものですから。ですから東洋医学を導入してやろうなどという意気込みは全くなく、私の手に鍼が握られていたのは、極めて自然な成り行きだったわけです。
石川:その後、当時の白根神奈川県副知事が中国へ行かれて、それが契機となって先生も中国へ短期留学されるわけですね。

●厚生省の仕事

丹澤:留学報告をかねて本当に久しぶりに山下先生にお会いする機会を得ました。そこで中国の鍼麻酔など現代中国の針灸治療の実態をよーく見てきてくれと依頼されまして、帰国報告会を行いました。その報告会後から、また山下先生とのおつきあいが始まるのです。お亡くなりになるまで。
石川:その後、お亡くなりになるまで何年間ほどでしょう?
丹澤:だいたい20年間ぐらいかな。
石川:ご一緒に厚生省のお仕事もされるわけですね?
丹澤:厚生省が特定疾患調査研究事業に、はじめて横断的な研究調査として、神経筋疾患リハビリテーション調査研究班という班を設けましたが、その研究班の中に鍼灸の臨床応用に関する研究チームが置かれたのです。私が班員に推されて入ってみると山下先生もその班におられ、共にその研究班に名を連ねることになりました。
石川:スモンのご研究もこの頃ですか?
丹澤:いいえ、スモン研究はもっとあとで、昭和57年です。
石川:やはり、厚生省のお仕事ですね?
丹澤:そうです。縦断的な調査研究班の中でもひときわ規模の大きいスモンに関する調査研究班がありまして、山下先生はその研究班の中に置かれた東洋医学会分科会の長を務めておられました。先生からお呼びがかかり、私も一緒にスモン患者さんの治療に応用する針灸の臨床研究を担当させていただきました。先生がご退任後は私が東洋医学会分科会を引き継がせていただいたという経緯です。
石川:最初に、先生は医療の本質的な部分を時代よりも一足早く歩いていらっしゃると申しましたが、そこまでは良いのですが、あやうく出家の道に入りそうになったり、役者になりそこなったりするわけですから、大変危ない道も歩んでいらっしゃるようです。フランス軍がウイーンを占領していたときに、興奮しやすいベートーベンは「私がもし対位法ぐらい戦術に明るければ、目にも見せてくれよう」と拳をふりあげて叫んだと言います。いや、知らなくて幸いであったというべきでしょう、と芥川也寸志は生前エッセーに書き残しています。今日先生のお話をお伺いさせていただきましたが、どうやら我々にとっても非常に幸運であったようです。(笑)

「その2:シンパシーとコンパション」へ続く