<出典情報>
初出 鍼灸師育成シンポジゥムにおける基調講演(2015年5月6日,成城ホール)

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「鍼灸の風景」その1

講演を始める丹澤章八氏
今年は桜が一挙に開花しました。成城の駅から北へ真っ直ぐに伸びる道は両側に桜の古木が並んでいて満開になるとなかなか綺麗な桜並木になります。
今年は桜とほぼ同時に桃が咲き、我が家の庭ではクリスマスローズが、そしてスズランも満開になり、たてつづけに春到来を告げる花の開花が、なんと時のたつ速さを一段とつよく感じさせるではありませんか。私も時の速さにつられて今年で86歳、四捨五入をすると90才になってしまいました・・・。ここで笑っていただけると後の話の運びが非常に楽になるのですが・・。(会場に遠慮ぎみのささやかな笑い)
考えてみますと、4/5世紀以上生きていることになります。まあ、よく生きているもんだなーと我ながら感心しているんですが、この歳になるまでに、3つの癌という同居人に相応の立ち退き料を払って出てってもらい、いまは大変せいせいしています。がさて、これからどのくらい生きるのかなーってな事を人並みに考えながら、スパゲッティ―人間だけにはなりたくないと、外出時には携帯は忘れても、尊厳死協会会員証だけは忘れずにポケットにいれています。
前置きはこのくらいにして、本題の話を始めさせて頂きます、例によってパワーポイントの紙芝居を堪能して頂ければ幸いです。
実はこのシンポジゥムが企画されたのは昨年の夏でした。企画立案の首謀者の瀬尾先生から話があったんですが、「もう話すネタはないから、勘弁してよ!」と言ったのですが、「落語は同じネタを何回もやってるじゃないですか」って言われたので、じゃあ落語ってわけにもいかないけど、同じネタで良いならば、という事でお受けした経緯があります。ですからここにおいでの半数位の方は、その話は聞いているよという方がいらっしゃると思うのですね。その方々にはどうぞご勘弁を願って・・。ただ聞いた覚えがある、と思っている方は大変頭脳明晰な方でして、多分認知症になられる確率が高い方なんですね。聞いたかどうかも忘れちゃったという人は認知症にはなりにくい。そのまま変化しない方ですから・・。(笑) 
では、始めさせて頂きます。
今日はですね、まず「風景論から鍼灸を考える」、次に「治未病論・もう一つの医療論」という事をお話して、最後に「恕の臨床」の話しをさせていただこうと思っていまです。
風景論から鍼灸を考える
(刷毛でペンキをぬると文字が浮き上がってくるアニメーション)
ですが、昔の話をさせて頂かないと後の話につながらないので、しばらくお時間をいただき、お付き合いを願いたいと思います。
それはどういう話かと言いますと、さかのぼってそれこそ40年前のことになりますが、私がはじめてリハビリテーション医療に鍼灸を導入したのですが、その結果はどうだったかという事の顛末についてのことです。
入院患者さん(七沢リハビリテーション病院)の中で、鍼灸治療をしている患者さんと、していない患者さんとを見比べてみました。鍼灸治療を希望する患者さんの目的には、鍼灸で動かない手が動くようになるとか、歩けないのが歩けるようになるとか、要は運動麻痺が改善できないものだろうかという切実な想いが籠められています。しかし、発症から治療開始までの時間経過(患者さんの多くは発症から入院まで3か月以上は経過していた)にも問題はあったのでしょうが、残念ながら、鍼灸治療対象患者さんに目立った麻痺の改善、つまり、リハビリテーションでいうところの機能障碍の改善につながる効果は認められませんでした。
ところが視点を変えて、鍼灸治療をしている患者さんたちは、していない患者さんたちと比べてみると、体調が非常に整ってきた、つまり快便、快眠、食欲増進というような体調が整ってリハビリテーション訓練が進む。その結果、リハビリテーションゴールがレベルアップする患者さんが目立って多く出ているという事実を発見したのです。
リハビリテーションゴールのレベルアップとはどういう事かと言いますと、例えば、入院されてきた当時の身体機能評価の結果では、この患者さんの麻痺の重さから考えると、所定の訓練を行った結果でも到達できるレベルは、自力歩行はちょっと無理で、ご自分で車いすを操作して移動できるレベルというゴール(≒目標)が設定され、そのゴールに向かって運動療法やら作業療法を組み立てて訓練が行われてゆくとします。ところが訓練が進むにつれて意外に成果が上がって、車椅子を使わなくても杖を使って自力歩行(杖独歩)で移動ができるレベルに達した、つまり、初期設定のゴールを超えた状態になったとします。ゴールがレベルアップしたとはこの状態をいいます。鍼灸治療を受けている患者さんの中に、このレベルアップした方が目立って多かったというわけですね。
言い換えますと、このことはその患者さんのADL(日常生活動作)が向上したことであり、リハビリテーションでいう所の、健側を含めた能力障碍が改善したことになるわけです。
片麻痺のリハに鍼灸を導入した結果と、その意味するもの
で、これを具体的に移動動作で説明しますと、他人の手や車いすの助けを借りず自力で自分が行きたい所へ歩いで行けるように回復したということであり、つまりは自由意思の及ぶ範囲、すなわち自由行動圏の拡大であって、健常人では想像が及ばない障碍を持った方の感激がそこにはあるのです。畢竟ひっきょうするにこの成果はQOLの向上につながることになります。ではこの間の鍼灸治療の介入はどのような意味があったのか。意味するものは、患者さんの持っている本来的な自然治癒力と生体の恒常性の賦活、そしてその増強効果に医療的有意性があった、ということだと確信しています。また、後から申し上げますが、この医療的効果を私は積極的養生医療と名付けました。これは今日のお話を組み立てている間に考えついた新しい言葉でして、今まで言ってきた養生医療だけではなく、その上に積極的という文言を冠しても良いのではないか、それだけの医療的価値・有意性があるのではないかという確信からでた言葉です。
で、その確信を裏付ける根拠としてスモンの患者さんに、鍼灸治療を行った結果も加えてお話ししておきます。
厚生省(現厚生労働省)に難病治療研究班という研究班が設置されていまして、その中でスモン研究班は当時は一番大きい研究班で、研究費は一億円を超えておりました。研究班の中に東洋医学部門があり、私はかれこれ十年近くその部門に関らせて頂きました。スモンというのはご存知の通り薬害疾患です。発症は突発的で、視力の低下または喪失、肢体、特に下肢の運動麻痺と異常感覚が主症状です。麻痺も重度ながら、加えて下肢の強烈な冷感と痛み、その冷感は冷凍庫に足を突っ込んでいるような冷たさ、その痛さは針千本が刺さっている痛さ、と患者さんが表現するほどの激烈なものです。この症状の緩和のための適当な治療法が見つからない中で、一部ではありましたが唯一効果があった、患者さんから多少とも楽になったと評価されたのが、鍼灸特に鍼治療であった事が契機となって研究班の中に東洋医学部門が出来たわけです。
その臨床研究の中で、3年目ごとに患者さんに治療効果に関するアンケートを取っていたのですが、ある年次の結果の平均QOLスコアをレーダーグラムに写し替えたものをお見せしましょう。発症前は健常者のパターンとほぼ同じパターンが見えますが、スモンの発症による最悪期を思い出して記入してもらったスコアを結ぶパターンは、極端に縮まった形になっていますね。QOLが大きく低下・毀損されていることがうかがえます。じゃあ、現在はどうだろう。このアンケートを取った時点のスコアを結ぶパターンは、健常時のものにははるかに及ばないまでも、少なくとも最悪期より格段とQOLが向上していると解釈できるものでした。
それじゃあ、いま現在の時点で、あなたの将来、漠然と将来といえば、人によっては明日を将来と考える人、1か月先を、あるいは1年先を、5年先を将来と考える個々別々ではあっても、少なくとも現時点に立って、将来のあなたのQOLはどうであろうかと思いますか、という質問をアンケートに加えてみました。その結果の将来のQOLパターンは現在のQOLパターンと非常に良く似て重なり合うものでした(スライドの赤線)。
鍼治療を継続しているスモン患者のQOLの推移
私は、この将来のQOLパターンは、まさしく現在のQOLを土台としてイメージされていることを物語っているものだと受け取りました。要するに、独断的・我田引水的であることを承知の上で申しますが、QOLについて最悪期に比べるとその向上が見られる背景には鍼治療の効果がうかがえるのではないかということです。と、もう一つ大切なことは、先ほども言いましたように、将来のQOLは現在のQOLが下地となって描かれていると読み取れることなんです。現在のQOLは現在の身心状態の反映とも言えます。ここで何が言いたいかと言いますと、すなわち、現在の身心状態を維持するために何らかの医療が関与しているとすれば、その医療はその方の将来のQOLを左右する鍵を握っていると言えませんか、ということです。このことに導かれるようにして私に、「今日、ただいまの臨床がその患者さんの将来のQOLを支配する」という言葉を作り出させました。そしてこのことを手短に「思想を持った臨床の実践」という言葉に置き換えて前世紀後半から臨床の心構えとして提唱し続けてきました。
それでは、スモン患者さんが訴える具体的な症状の改善に鍼治療がどの程度効果があったのかと言いますと、アンケートの集計結果では、主症状である激烈な下腿のつっぱり感、針で刺されるような痛さ、極度の冷感に対しては、せいぜい20%程度の軽減効果にとどまるものでした。でもほかに有効な治療法がありませんでしたので、一度鍼治療を受けられた患者さんの大部分は継続受療者になっていました。申し遅れましたがこのアンケート調査の対象はその継続受療者の方々です。
さて、一通り集計作業を終えてからアンケート用紙の自由意見記載欄に眼を移し、用紙をめくりめくりながら追っていった時のことでした。書き出しの冒頭に、二枚、三枚、五枚、十枚と約半数に及ぶ方々が、まるで申し合わせたように同じ文言で書き始められているではありませんか。目は釘付けになりました。びっくりしました。衝撃的でした。
その文言とは、鍼で『身体が軽くなった』というたった七文字の短いフレーズです(スライドの赤字)。私は、この短いフレーズに、継続受療している患者さんの鍼治療に対する期待と評価の万感が籠められている、裏を返せば鍼灸の医療的価値の真面目の表現がそこにあると観て取ったのです。
私個人の臨床(西洋医学)で、何かの処置後に「おっ!体が軽くなりました」とおっしゃった患者さんに遭遇した経験はまずないのですね。片麻痺の患者の体調が整った。スモンの患者さんは身体が軽くなったという。一体これはどういう事だ。真剣に考えてみました。
自覚症状の軽減効果と自由意見欄の内容
虫歯の痛みは誰しも経験したことがあるでしょう。たかが一本の歯で、と思うものの、痛みのために全意識がその一本の虫歯に集中して、思考も行動も、横断歩道の赤信号に出会ったように止まってしまいますね。でもその痛みが治まったとき、何か体中のしこりがさらっと溶けて、集中していた意識も霧散し、身体の部位感覚も一瞬消えて透明になった感じ。そんな感じ。その感じが「身体が軽くなった」という形容と相通ずるのではないかと思い至りました。
学生時代、内科の教授が「健常では内臓の存在感は感じないが、存在感を感じたらその臓器に何かしらの異常がある。例えば胃がここにあるようだと感じたら、胃に何かしらの不全・病変が起こっていると考えよ。こんなことは教科書には書かれていない」と教えてくれたことを思い出しました。そう、痛みも凝りもしびれも、便秘にしても要は存在感に通じます。 鍼灸医療の介入によって、こういった存在感が軽くなる、薄れる、時には消える。要は病患が薄れホットするという事ですね。そこで覆っていた雲が晴れて晴天の気持ちになり本来持っている活力が復活する。そんな生体環境を作り出す力が鍼灸にはあるんだと、改めてその医療的価値を確認したのです。で、自己流の解釈ですけども、この生体環境は「人に身心丸ごとの安堵感を与える」ものだと私は考えました。
この安堵感をもって、鍼灸医療を、生体環境の支持と、Comfortの医療。現代医療のキュアー中心の医療とはジャンルを異にするケアの医療であることの認識付けを、前世紀末からずーっと行ってきました。その中で久しくケアの医療は養生医療と同義であると説明してきまた。が、刻々と変化する生体環境を維持するための医療には、生体の活力を高める効果が求められるわけですね。ここまでお話してきた内容を振り返ってみてください。改めて念を押すまでもありませんが、鍼灸医療にははっきりとその医療的機能を持っていることがわかります。まさに積極的養生医療と言えます。いまここにケアの医療を超して積極的養生医療と唱えた理由はそこにあるのです。
さて、前段の話はここで終わりますが、積極的養生療法と安堵感は、この後に続く話のキーワードになりますから頭の中に置いておいて下さい。
その2へ続く