「続・鍼灸の風景」―[臨床における 気・時間・空間論]―その2 (2016)

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初出 丹塾主催 鍼灸師育成シンポジゥム 第二回 信頼に足る鍼灸師を目指せ 【第二部】見えるものと見えないもの(2016年5月5日,成城ホール)

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「続・鍼灸の風景」―[臨床における[気]・時間・空間論]― その2

《雑念勝手論その1 鍼灸臨床を[気の差分]で解釈する》

では、臨床の話に移ります。先ほど[東洋医学では病態も生の一環としての生体反応―[気]の消長―として肯定的―ポジティブに―に捉える]といいましたね。それでは実際の臨床で患者さんの[気]の消長をどのようにとらえているのでしょうか。ここからは私の雑念勝手論になりますので、そのつもりでお聞きください。
治療者が持っている[気]、これを平人の[気](あるいわ平然の[気])―質・量とも―と考えてください。患者さんが来ました。東洋医学の治療者はほとんど無意識のうちに、しかも習慣的に、眼前の患者さんが持っている[気]と自分が持っている[気]とを天秤にかけて質・量の差を感じ取っている、引き算をしていると言ってもよいでしょう。その結果[気]の差分を感じ取り、差分がプラス(平人の[気]の方が多い)であれば虚を、マイナス(患者の[気]の方が多い)であれ実と、感じ診て取っていると私は考えるのです。要するに、双方の[気]を引き算して患者さんの[気]の過不足を計り、四診によって[気]の動態を観察・評価しその結果を治則に反映させる、ということではないかと思うのです。
治療の主眼はホメオスターシスを活性することですよね。老年医学会での『老化を考える』と題する基調講演(今堀和友氏)の中で、老化を[エントロピー増大]という観点から説明されていることを知りました。その時、ホメオスターシスの活性とはエントロピー増大の抑制効果と表裏一体であると直感的に認識しました。エントロピーの話はとても長くなりますので割愛しますが、興味のある方はネットで探してください。納得がいくと思います。
以上の認識は、従来から主張してきた鍼灸の養生療法(医療効果)の語頭に、積極的という言葉を冠する至当性を保証するものと考えています(スライド参照)。
積極的養生療法、この語彙は、[生]の健常部分を殖やし、[未病]の層を病態の方に押しやって病態部分を減じていく―エントロピー増大を制御する―鍼灸治療本来の面目・本質(治効力)を言い表しているものと考えます。私の勝手論ですが、鍼灸医療とは、患者さんと治療者の、[気]の差分という『見えないものを、見えるように意識化して行う臨床』といえるのではないかと思うわけです。これは残しておきたいコトバです。
鍼灸臨床を実践する中で、「うーん、そんなようにも思えるな・・」と、同調してくださる方がおられるとすれば、大いに多とするところであります。
具体的には、あるきまった患者さんに鍼治療をした後で大変な疲労感に襲われることがあります。自分の[気]が吸い取られたような感じが残ります。逆に患者さんの[気]が自分の体を通して外界に抜けていく感じの患者さんにも遭遇することがあります。鍼体を通して患者さんとの[気]の交流を経験した方は、私の勝手論に頷いていただけるものと思っています。
患者さんとまともに対面もせず―顔もろくに見ず―、ディスプレイ上の検査値を告げて患者さんに病態の認識を促すだけの現代医学の臨床では、[気]の交流などは論外で、ましてや養生医療とは全く疎遠です。その疎遠の場こそ鍼灸医療の独壇場であり、積極的養生療法の医療的価値が発揮できる場なのです。

《雑念勝手論その2 散じた[気]は霊気となる》

さて後回しにしていた、散じた[気]は一体どうなるのかの話に移りましょう。
勝手論からすると、結論として散じた[気]は[霊気]と呼ばれるものになると考えています。この[霊気]は千の風になって飛んでゆくものではない。私も千の風になって世界旅行をしてみたかったんですが、そうはいかない。[霊気]は大気中に拡散するのですが遠くへは飛んでいかない、決して風土からは離れないというのが私の主張です。とすると、私に言わせれば例の歌は、大変インチキな歌です(一同笑い)。

《雑念勝手論その3 [霊気]は民族性の根源》

我々は大気を吸い込んで、ただの酸素をいただいて生きていますね。でも酸素だけではなく大気の中に含まれている[霊気]も吸い込んでいると思うのです。風呂に入れば湯気を吸い込んでいるのと同じことです。ですから風土の中で呼吸をして生きていること自体が非常に大切なことだと思っているわけです。呼吸は心身の形成にあずかっている事は間違いないし、DNAに対する影響も出てくるはずです。ですから、『風土の中で呼吸をしている(いきしている)そのこと自体が、民族性を育む根源』ではないか、と私は考えるのです。暴論と言われるかもしれませんが、私はそう思うのです。これも残しておきたいコトバです。
この考えは風呂に入って湯[気]を吸った瞬間浮かんできたもので、(一同笑い)あぁ、そうだったんだ、日本の国土に住み、そこの大気を吸っているから日本民族なんだと勝手に納得したわけです(スライド参照)。
この勝手論、いかがでしょうか。今夜お湯につかって湯気を吸いこんだ時に、老骨が言ったと思い出された方は、この勝手論を吟味・批判してくだされば幸いです。 ところで、この[霊気]は音に非常に敏感だと思うのですね。皆さんが神社に行ってお辞儀をするだけではなく、鈴を鳴らす、柏手を打つ、お寺へ行けば鐘をつくでしょう。僧侶が経をあげるときは鐘を鳴らし木魚を叩きますね。修験者は法螺貝をたからかに吹きあげます。[霊気]はその音に反応して集まってくるのではないかと思うのです。音を出せば[霊気]は必ず来てくれる。家には神棚があり仏壇があり、お寺にはお墓がある。方々で音を出せばその音に向かって[霊気]は走る。忙いのなんのって朝から晩まで駆けずり回っている(一同笑い)、風土を離れる暇なんかとてもないというのが私の勝手論の中にあります。
[霊気]はご存知のように、昔から[魂]と[魄]に分かれていると言われています。古い時代です。易経には『魂は陽に属して天に帰す』とあります。道教では『魂は精神を支える気』と言っています。魄は『魄は陰に属して地に帰す』と易経にあり、道教では『魄は肉体を支える気』、とあります。先ほど紹介した朱熹によれば、[生]とは『魄と魂の結合』であり、[死]とは『魄と魂の分離』で元に戻らず不可逆であると言っています。しかし私は不可逆とは思っていません。しばしば[魂]と[魄]とはくっつくと思っています。そしてくっつくと「かたち」になるんですね。通常その「かたち」は見えないんですが、特定の人は見えるようで、代表的な[かたち]は[幽霊]です。
『うらめしや 魂魄この世にとどまりて 恨みをはたさでおくべきか』幽霊の決まり文句ですが、幽霊の正体は魂魄がくっついた[かたち]であることを語っていますね。古くから幽霊は絵画・能・伝統芸能・物語の主題に取り上げられ、日本文化にれっきとした居場所を持っています。
たまたま、今年の3月10日の読売新聞の編集手帳欄に、こういう記事が載っておりました。
この季節つまり3月10日の季節、きまって脳裏をよぎる五行歌がある。
「霊能者という人に、
本当に霊がみえるなら、
東京なんて一歩も歩けないと、
東京大空襲の
生き残りの父」
胸を衝かれる記事でした。
と同時に、空襲の記憶がにわかによみがえってきました。私は終戦の歳の3月10日(罹災者100万人を超えた)と5月24日~26日の大空襲の時にも東京におりました。3月の下町が大空襲(下町空襲と呼ばれる)にあった翌朝のことです。近しい親戚宅が下北沢にあったので、「お前、安否を尋ねてこい」という親父の命令で、ゲートルを巻き防空づきんを冠り水筒を背負って自転車で出かけました。目的地は我が家(東京市の時代の淀橋区にあった)の真南の方角にあたるので、途中、都心から西へ向かういくつかの街道を横切って進むことになります。その日、甲州街道を横切ろうとしたときに目のあたりにした光景はいまだに脳裏に焼き付いて消えません。焼け出されて一刻も早く郊外へ逃れようと、衣服は焼け焦げ、髪はざんばら、目はうつろで、はだしの人も散見でき、それぞれに鍋を下げ布団を背負い、ひたすらに西に向かって呆然と歩き続ける、全く生気を失ったかに見える大群衆の列に行き当たったのです。まさに亡者の行列に見間違うほどで、ぞーっと身の毛がよだったのを覚えています。その列を横切るのに、身の丈ほどの深さの川を自転車を頭上にかざして渡るような難儀さを感じたこともこの身がよーく覚えています。もし霊が見える霊能者がいたら多分、「列の間には、亡くなられた方の霊で埋め尽くされていた。難儀さを感じたのはそのせいなんですよ」と告げてくれたであろう、と、先の五行詩は私に語り掛けてくれたように、いま、思っています。

《雑念勝手論その4 [魂]と[魄]をくっつける接着剤》

もう一度、幽霊の決まり文句に還ります。『うらめしや 魂魄この世にとどまりて恨みをはたさでおくべきか』。ところで、この[魂]と[魄]とはどうやってくっつくんでしょうか。文句から察すると恨みを果たす目的のためにくっつくようですね。そうなんです。[恨み]とか、[怨み]、[嫉み]あるいわ[未練]など、いうならば[今生の執着]が接着剤となって[魂][魄]がくっつくんではないかと思うんです。これはあくまでも私の勝手論ですが・・。
じゃあ、この接着剤をどう扱ったらいいのだろうか。接着剤と思しきものの内容をどうのように察知し、どのように取り除いたら安神(神とは精神を指す)の道へ導くことができるのであろうか。残念ながら、医学教育ではこの方面の知識の涵養、ならびに方法論的な教育は全く無いんですね。鍼灸教育についても同じことです。ですが、その教育が必要だということについてこれからお話しします(スライド参照)。

《雑念勝手論その5 [気]を安んずること・者―1》

私に言わせますと安神の道へ導く方法は、一言でいうと[[気]を安んずる]ことに尽きると思っています。そして人生における[気]を安んずる最終的な領域は医学が及ぶ領域ではないんです。その領域は宗教が司る領域に接していて、その領域を司る者は宗教人であるべきと考えています。プロの宗教家であればそれに越したことはありませんが、あえて宗教人の人を使うわけは、その道のプロを表現する[者]とか[家]は使わずに、宗教を理解しているアマチュアで十分であるという意図によるものです。そして勝手論を進めるにあたって、ここで『安気』という新語を作らせて頂きました。『安気』を司る宗教人を『安気者』と呼ばせてもらいます。

《雑念勝手論その5 [気]を安んずること・者―2》

『安気者』になるための条件があります。それは自分の[平然の[気]]を養っていかなければいけませんね。養っていくことを、[調気・養神]と名付けて、丹塾では例会の開始前に、15分間椅子に座った姿で座禅をします。[気]を丹田に集めるという行為を終えて例会の授業に臨む、ということをしています。これはひとつの[儀式]です。こういうことに類した[臨床における儀式]は非常に大切である事は、長年臨床をやっていらっしゃる方はうなづかれると思うんですね。私が長くお付き合いしていた、大変有名な鍼灸師ですが、その方の内弟子時代のお師匠さんは毎日決まって治療室に入る前に神棚にお参りをされていたと聞きました。ある時「一体何をお祈りしてらっしゃるんですか」と聞いたそうです。そしたら「今日も腰痛以外の患者さんが来られないように・・どうぞ」とお祈りしているんだと言われたそうです。(一同笑い)、これもその先生の[気]を整えるために欠かせない大変重大な[儀式]なんでしょう。[作法]とも言い換えてもいいのではないでしょうか。こういう事は非常に大切なんですね。奈良康明という大変偉いお坊様がいらっしゃいますけれども、ご著書の中に『心があれば形に出ます。仮に心がととのっていなくても、形をとることによって心も定まるということは日常よく経験することです』とあります。神社に参って、二礼二拍手一拝の作法をします。願い事を聞いて下さるためにはその作法を踏まないと何となく不安だし、ご利益もなさそうで安心できない。よくよく考えてみると自分の心がそれで満足するということですね。作法というのは非常に大切なんです。臨床の流れも作法の連続とみれば、その臨床の流れ(作法の連続)に患者さんが身をゆだねる事によって患者さんは安心するんですね。作法の中には[段取り]も含まれるでしょう。何事も段取りがぎくしゃくしていると不安になりますよね。患者さんの身になって、自分の臨床が作法に則って流れているかどうか、じっくりと振り返ってみてください。
患者さんの[気]を安めるには、臨床の作法に則った[場]をしつらえ、提供することだと心得てください。
関係した某学校で卒後研修塾を始めましたが、私の授業の前には15分から20分、座禅を組ませました。授業に臨むための[調気養神]の作法・儀式です。丹塾でも同様な儀式を行っていますが、その意味するところは自分自身の精気溢れる[場]を創造することにあるのです。

【臨床における時間・空間論】

では、次に[臨床における時間・空間論]に移ります。 読まれた方はいると思いますが、本川達雄氏が書かれた『ゾウの時間ネズミの時間』と題する本があります。この本はベストセラーになりまして、今は15版以上になったのではないでしょうか。その一節を紹介します。
『ヒトの時間感覚は外部の時間を敏感に計れるものではなさそうで、頭の中の時間軸は、自分に固有の時間軸しかないのであろう。時間に関しては、ヒトは外部に閉ざされた存在だといえるのではないか。』
-中略―『もしヒトがもっと時間感覚が発達した生き物だったら、対象物にあわせていろいろな時間軸を設定でき、世界をもっと違った[目]で[見ていた]はずである。時間と空間の関係式も、簡単に[発見]できたに違いない。』
とあります。
このくだりの中で、『頭の中の時間軸は、自分に固有の時間軸しかないのであろう。時間に関しては、ヒトは外部に閉ざされた存在だといえるのではないか。』の部分はよく頭の中に留め置いてください。
通常、時間は流れている、と認識した場合、その流れは、自分の中にあって、客体に流れているという事は全くと言っていいほど意識をしていないものです。時・空という認識は際立って主観的なものなのです。先ほど頭の中に留め置いてくださいといったことばは、そのことを指摘しているのです。
3年前になりますけど、丹塾の正月の例会で、高梨さんに司会をして頂いて、[臨床死生観考]と題するシンポジウムをやりました。録音起こしをして一冊の本にまとめました。その28ページにある私の発言を要約します。
『人間には二つの時間があると言われている。一つはdoingの時間で、もう一つはbeingの時間、こういう二つの時間がある。doingの時間とは数値化できる。beingの時間とは数値化できない。臨床でいえば、doingの数値化できる時間というのは医療者の時間。beingの数値化できない時間というのは患者さんの時間、と心得てもらいたい。従ってdoingの時間というのは主観的なものであるが、beingの時間というのは客体の時間であって、二つの時間のそれぞれが持っている質は全く違う。その事を医療者はっきりと意識すべきである。医療者の教育課程では、一般教養課程の中であるとか、あるいはバイオエシックスなどの中で触れられて、たとえ知識として知ってはいても、臨床に携わって、その場になるとなかなかこの事情は分からない。くどいようだが、医療者の時間と、相対する患者さんの時間とは、質的には全く違うんだという事を、どうぞ頭によく入れておいて欲しい。そして、doing・beingの間には見えないけれどもドアがある。医療者は見えないドアを意識的に開いて、いったん自分の時間を無の状態にして、患者さんの時間の質を懸命に探る。探り当てて、初めてそこで真の共感が生まれる』 以上ですが、今日はたまたそれを繰り返すということになったわけです。で、今申し上げたことを図式化して見ます(スライド参照)。
スライドに時計が見えます。時計が刻む時間は、人間が勝手に数値化したものです。とすると、そうでない時間というものは別にあるんだろうと思われます。ニュートンの絶対時間説は否定されましたけども・・。宇宙時間なんていう時間もあるのではないかと・・・。まあ、それはそれとして、患者さんの時間(beingの時間)は数値化できないんですね。つまり通常の時計では表現できない時を、通常の時計と対比してどのように視覚的に訴えたらよいかと考えた時に、ふっと頭に浮かんだのがサルバトール・ダリの『融解する時間』という絵でした。この絵はダリが原爆時代を考えて書いた絵だといわれています。doingと違う時・空、それを表現するのには、このダリの絵が一番良いんじゃないかと思って紹介しました。で、スライドの絵の中央にドアがありますね。本当は見えないんですが、ここでは見えるように書いてあります。このドアを開けて患者さんの時空に入り、その質を細かに探る。探ってみるとまず、患者さんの時・空はいたって非時系列的であることに気が付くはずです。つまり、事象は前後錯綜し、過去・未来の歴然たる境がなく総じて現在形で並立しているのです。その事象を医療者のdoingの時間で理解しようと思っても、それは到底無理なんですね。どうしたらよいか。それは一旦doingの時間を捨て去るか、時間から抜け出して、doingの時間を無にする。無になって患者さんのbeingの時間に飛び込み、極端な言い方をすると同体になる。あるいは同体に近い状態になって患者さんの現在形で満たされている事象(時・空)を読み取る努力をすることです。しかし、言うは易く行うは難しいことです。この間の事情を納得してもらうためのうまい比喩はなかろうかと考えている時でした。たまたま卓球の世界選手権で日本のチームが団体優勝したニュースがテレビで流れていまして、チーム・キャプテンの福原愛ちゃんに向かってキャスターが、キャプテンとしての苦労話を聞いている場面でした。チームをまとめるには、色々苦労があったでしょうが、どんなことをしましたか、という質問に、即座に『こころの温度を一緒にするように努めました。』と答えたのです。それは考えることなく即座にでた答えでした。聞いて咄嗟に、「やぁ!!これはすばらしい言葉だな」、と感銘すら覚えました。
自分の時間を無にして、患者さんの時・空を読む
残しておきたいコトバです。ですが、正直なところ、愛ちゃんのコトバの方がピンと響くんじゃないか。という事で、書き留めておいて、ご紹介に及んだ次第です。
共感は患者さんの時・空を読むことで生まれます。石川先生のお話もありましたが、患者さんの物語を時系列的に編集してお互いに共有する。時・空を共有すると言い換えてもよいでしょう。そして共感は「信」という素地があってこそ初めて萌芽することも忘れないでください。
そのことに関連して、某書(若松英輔著『叡智の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』p133)に以下のコトバを見つけました。紹介しておきます。
「この世に病気は存在しない。病人がいるだけだ」と、あるとき名医といってよい人物がいった。続けて彼は、現代医学は証明できない苦しみと痛みを、あたかも無きがごとく、その世界観を構築してきたが、真実の医療があるとしたら、まず、患者の苦痛を信ずることから始める以外に道はないともいった。
覚えておいて欲しいコトバです。
[信]は、私の提唱する恕の臨床、思いやりの臨床の出発点なのです。

《雑念勝手論その6 気の消長と時・空との関係論》

さて、私が考える通常の人の一生における[気]の消長と時・空の関係(これも勝手論)を図式化してみました。[気]の消長―粗密状態―は色調の濃淡で示しています。また時間は通念上の流れるものとします(スライド参照)。
若年期の空間(場)は[気]の密度が濃厚で、時のながれを贖(あがな)います。ために時間の密度は空間のそれより勝った状態になります。壮年期になると、[気]も時・空も平生といわれる均衡した安定状態で落ち着きます。老年期になると[気]の密度は疎になり、時は抗せずして流れを早め、ために空間の密度が時間のそれより勝ります。歳を取ると時の立つのを早く感じるという経緯は、こんな説明で納得できるのではないかと思うのですが、いかがなものでしょう。昨年は私、68才でした。が、今年は一挙に78才になりました。10年ひと昔とは早いものです・・・。(一同笑い)
ジャネーの法則というのがあります。
『主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した』
ものです。
『簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理学的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる』
以上フリー百科事典ウィキペディアより。
歳をとると、月日の足早をことさらに感じる道理がよくわかりました。
そして最終の死は時間を失い(失うというより、過去がいつでも現在に立ち戻れるという、通念上の時間の流れには見られない現象をもった時間概念といった方が良いかも・・・)空間だけの場になるものと想像しています。が、想像だけであって実際のところは分かりません。以上、人の一生における[気]の消長と時空の推移を別な言葉で表現しますと、先ほど述べた [エントロピーの増大]になります。
忘れないためにここで言っておきますが、この時・空の推移は生物における必然ですが、この推移を制御する―遅らせる―対策。その対策の本命の一つが鍼灸医療であり、その理由は鍼灸に託された積極的養生療法にあると私は思っています。
ここで先のスライドの老年期の部分を拡大して示します。Dead lineに向かう領域を受け持つのは主として緩和医療と終末期医療・終末期ケア―最近は、エンド・オブ・ライフケアとい言葉に代わりつつあります。終末というのは、最終電車のイメージがあって、あとは無いんだ、というイメージが強く、同じ事なんですが横文字表記・カタカナ表記の方がイメージを弱める効果があるというんでしょうね―です。先にも触れましたが、この領域を[医療の領域]と呼ぶことにします。Dead lineを超えると、遺族に対するグリーフケアだとか、鎮魂を受け持つのは主として宗教です。で、この領域を[宗教の領域]と呼ぶことにします。 ところで[医療の領域]と[宗教の領域]との境は、Dead lineという一本の線状で劃せるのものでしょうか。私も、そして皆さんも、決してそうは思わず、Dead lineに先行して接する、ある幅をもった移行帯ともいえる領域があると思っている。さらには、その思いの中にはそういう領域の存在があって欲しいという思いをも含まれているはずです。あたかも東洋医学における健常と病態との間に未病という概念を挟むがごとくに・・。
私はこの移行帯(スライドの濃いブルーの帯)ともいえる領域には、その人の生きざま、言い換えれば人としての尊厳が隠されていると考えているのです。尊厳の中身には、己がこの世に存在した証(あかし)を、己に問うて確かめる心の作業と、その証を他者にも確かめてもらいたいという切なる願望も含まれていると思うんです。[医療の領域]を受け持つのは医療者、[宗教の領域]を受け持つのは宗教家であることは言うまでもありませんが、さて移行帯の領域を受け持つもは誰でしょうか。

《雑念勝手論その7 『安気の領域』と司る者 》

ここで雑念勝手論の最後にたどり着きます。
私が思うのには、この領域を受け持つ(司る)専門家は居ることに越したことはありませんが、特に居る必要はないと思っています。では誰かというと、医療者であって宗教的素養をもっている人(宗教人)、または宗教家であり医療的素養を備えている人というのが私の考えです。そしてここが医療と宗教とが協働できる、コラボレートできる領域であるし、コラボレートしなければならない領域だとも考えています。私はこの領域の存在と意義とを、医療・宗教の両面から真剣に考えなければいけない時節になっていると思うのです。
佐々木宏幹氏は著書『神と仏と日本人より』の中で、この領域を『医宗一如』と名付けられています。誠に的を射た命名だと思います。
で、私はこの領域を、[気]を安んずべくする『安気の領域』と名付けました。この領域での[気]の有様が無秩序であると、人は底知れぬ不安と孤独に陥ります。無秩序を秩序足らしめる力は医療にはありません。宗教(ここでいう宗教なるものは、なになに教とか、なになに宗派とか、そんなせせっこましいものではなく、人知では測れない大いなるもの・または力と考えてください)に頼るしかありません。なぜかといえば、宗教そのものがすなわち秩序だからです。すべからく医療人はこの領域の存在と意義とを確知して、エンドオブライフケアではこの領域に架橋し[気]を安んずる方法を学び、[安気者]になるよう努めなければなりません。一言でいえば宗教人であれということです。宗教人とは、宗教のプロではなくアマでよいという意味です。私は以上のことを認識していることが即、宗教人たる素養につながるものと考えています。
我々は[気]を吸って生きている。霊[気]を吸って民族性を得、保っていることを《雑念勝手論その3[霊気]は民族性の根源》でお話ししました。
正月には初詣といって神社に参る。願い事があるとその筋の神社仏閣に参って手を合わせて祈願する。八百万の神はことさらに否定することなく、民俗は宗教性を帯びて日常生活に溶け込んでいる。要するに日本民族は、祖先の霊気を吸って生得的(アプリオリ)に習合宗教(シンクレティズム;神仏混淆)の宗教性を持っていると、私は思うのです。
ですから、極言すると、『安気の領域』の存在とその意義とを内省的に確認できたら、それをもって”われは宗教人たり”と自認してもよろしいと思っています。その気づきさえ与えない医学教育現場は嘆かわしいものです。せめても卒後教育での啓蒙を心がけているところです。
私が前世紀末から叫んできた[二十一世紀に望まれる鍼灸師像]があります。
1.感性豊かな臨床家
2.思想をもった臨床の実践者(患者さんのQOLを視点の中心に据えた臨床)
3.今日的医療人(現代医学と協働できる医療人)
です。今日は以上の三つに、
4.[気]を安んずる安気者
5.時・空を読める宗教人
の二つを加え、[時代を超えて望まれる鍼灸師(医療人)像]とします。そしてこのコトバは、残したいコトバに加えます。
さらに残したいコトバがもう一つあります。前世紀から、鍼灸治療の目指すところと実践について、言い続けてきたコトバです。
患者さんに、
生きているということの
素晴らしさを
実感として与えることが
できる治療者
以上で私の話を終わらせて頂きます。有難うございました。ご清聴を深く感謝します。

「続・鍼灸の風景」―[臨床における 気・時間・空間論]―その1 (2016)

<出典情報>
初出 丹塾主催 鍼灸師育成シンポジゥム 第二回 信頼に足る鍼灸師を目指せ 【第二部】見えるものと見えないもの(2016年5月5日,成城ホール)

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「続・鍼灸の風景」―[臨床における[気]・時間・空間論]― その1

《以下、録音記録を文章化するにあたって、その後に考え付いたことどもを追加し、文中の雑念勝手論をその1~その7に項立てして理解を深めていただくための便とした。また文中特に力点を置いた文節には、 ―残したいコトバ、覚えておいてほしいコトバ― と注を加え、全面的に改稿した》

【イントロダクション】

風薫る五月、今日はその五月の連休の中日で、しかも五月晴れの行楽にもってこいのお日よりにも関わらず、このシンポジゥムの参加を選択せれた方々の勉学心に対し、謹んで敬意を表します。このような企画のシンポジゥムは昨年に引き続き二回目になります。当初は(昨年)一回こっきりと思っていましたが、運営委員の方たちは、私の思惑などは論外で、二回目はやるんだと決めてしまっておられたようです。
しかも今回掲げられたテーマは[見えるものと見えないもの]という大そうな哲学的なテーマでして、私は今年になって初めてこのテーマを知った次第。「こりゃ大変なテーマだな。哲学講義になるんじゃないかな。」と話の内容を整えるのに四苦八苦しました。が、なんとか、お喋り出来る内容には頭を整理することができました。しかし、出来上がった話しのおよそ半分は既に皆さん方にご披露をしている内容でした。
今日初めて参加された方は「おっ!、そういう話は初めてだ」と聞いていただけるでしょうが、半数位の方は「もうその話は聴いたよ・・・」という内容ですので、どうぞあしからず御許しを願っておきます。
ただですね、「あぁ、聴いた、きいた、その話はもう分かってるよ」という方は、大変記憶力の優れた方であり、几帳面さを兼ね備えているはずですので、そういう方は将来は認知症になる可能性が高い、と、言われていま・・す・・。「いや、そんな話は聴いた覚えはあるけどよく覚えていないな」という方は、将来認知症にはならない。・・・もうすでに認知症なんですから・・・(一同笑い)。この話のくだりは昨年度の講演の枕にも申し上げた冗談ですが、それも忘れて本日参加されている方がいるとすれば・・これはもう大変です。認知症が一段と進んだと・・・(一同笑い)。ご用心、ご用心のほどを。
かなり昔のことになりますが、柴田錬三郎さんがご在世の時、氏の講演会に参った時の事です。やおら舞台に上がられた氏の第一声は、なんと、『今日はどんな話をしようかな・・』という口切くちきりでした。大家だから通用すること。でも現在の私は全く同じ心境で、「どんな話をしようかな」と言いたいところですが、それを一介の老骨が真似てはまことに失礼千万。色々考えた私の話しが、本日招待講演者としてお招きした正木先生のお話につながるような前座の役目を果たせれば幸いだと思っております。
さて、話しの幕開けはお馴染みの丹澤流紙芝居(P.P)ですが、今回も、その歳でよくもまあこんな紙芝居が作れたものだと褒めていただける・・、ことを期待しながら・・、しばらくのお時間を頂きたいと思います。
昨年は 【鍼灸の風景】 という標題のもとに[風景論から鍼灸を考える]、[治未病論―もうひとつの医療論―]、[恕の鍼灸]という内容のお話しを致しました。
今年は[見えるものと見えないもの]というテーマに沿って、標題を【続:鍼灸の風景】と銘打ち、演題は[臨床における[気]・時間・空間論]としました。やや気取った演題ですが、内容は相対化したものではなく、喋っている本人も自信のない自己流の雑念勝手論(ぞうねんかってろん)ですので、後で質問はお受けしない・・、(一同笑い)、という事にさせていただきます。
物事を考えたり、文を作るのに[作文の三上]という謂れがあります。まず馬上―騎馬した鞍の上で考える、今は車上―電車の中が主でしょうが、車の運転中は危険ですからやめて欲しい―でしょうか。次は枕上(ちんじょう)―主として就眠前の少時、枕の上で考える、それから厠上(しじょう)―トイレに座って考える、これが三上です。私はそれにもうひとつ、湯上(とうじょう)―湯に浸かりながら考える、を加えます。私は烏の行水のたとえにあるような至って短い風呂なのですが、湯に浸かった瞬間に色んな考えが浮かんでくることが多いのです。ですから私の場合は[作文の四上]になります。これから本日のテーマに沿ってその四上で考えたことを継ぎ合わせてお話していこうと思います。
[見えるものと見えないもの]というテーマを頂いた時に、瞬間的に頭に浮かんだのが、金子みすゞ、の『星とたんぽぽ』という詩です。
星とたんぽぽ

『青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ

見えるけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

ちってすがれたたんぽぽの
かわらのすすきにだァまって
春のくるまでかくれてる
つよいその根はめにみえぬ

見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ』
先ほど石川先生から、別な生物になって人間を見るというお話しありましたね。金子みすゞという方は別の生物になりきって人間社会をみる。このような視点、心情から、かずかずの優れた詩が生まれてきたのではないでしょうか・・。
続いて頭に浮かんだのが、『星の王子さま』でした。ご存じの『星の王子さま』で一番有名なところですが・・、
『心でみなくちゃ、
ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、
目に見えないんだよ。』
この二つの詩から読み取れるものは何であろうかを考えます。
手短に言いますと、われわれ平人は、自分が見えていることというそのものは、実は、自分に利害関係があるものばかりの事象なんだ、と哲学者は言います。網膜に映る映像の中から、それぞれが自分の利害に関係した事象(映像)だけを選択して認識している、とも言えるんじゃないでしょうか。実は認識していない映像が別にある。それは現象的には見ていない、あるいは見えていても認識の対象としていない、その見ていない、認識していないものの中にこそ大切なものやこと、延長すれば真理とも言うべきものが宿っていることを示唆しているように読み取れます。

【[気]に関する私の考えの変遷】

「気」 その考えの変遷
「気」 その考えの変遷
本日の話の冒頭はその見えているようで見えていない、われわれの身近を取り巻く[気]に付いて、私の[[気]その考えの変遷]を語り、次いで[臨床における時間・空間論]につなげていきたいと思います。
まず[き]には色んな字があるんですね。片仮名は除きますが、ひらがなを交えて三つあるんです。そのうち[氣]はお米を炊く時に出てくる湯氣を象徴している字なので、われわれが問題とする[き]とは意味が違うので外します。われわれが問題にする[き]は[气]もしくは[気]の字で現されるものです。そこで[気]のつく言葉を思いつくまま羅列してみました。スライドは、十数年前、福岡で開催された全日本鍼灸学会学術大会の市民講座で、[気]について私と哲学者とお坊さんとの鼎談の際に使ったものです。小さな字で恐縮ですがなんとか見えますよね。
「気」のつく言葉
「気」のつく言葉
[空気]から始まり[気象]にまつわる色々な[気]があります。いわゆる宇宙現象を表すのには[気]の字は欠かせませんね 。また[電気]に始まる物理現象も同様です。[景気]とか[雰囲気]という社会現象を表現するときも[気]は使われます。[気質]から始まり[和気藹々][気まずい][妖気][浮気][色気]などは魂・精神状態・その活動を言い表していますね。そして[元気][病気]をはじめとして医学関係、特に東洋医学関係では、[宗気][精気][気虚][気滞][気鬱]などなど、生理・病理の状態表現のために[気]の字とその概念は欠かせません。以上、[気]の付く言葉や概念が、いかに我々の周りに満ちみちているかを理解して頂ければ結構です。
羅列した文言を総括しますと、[生命世界・空間の場と、その活動状態]を意味しており、その意味するものを[気]という一字で代替し表現し得るのではないかという考えが、私の雑念勝手論の地平にあります。
その論拠についてお話しします。まず、[生命世界・空間の場]の[場]とはなんぞやという問をたてます。清水博先生著の『場の思想』―2003/7初版・東大出版会―を借りますと、『場とは自分を包んでいる全体的な生命の活き(はたらき)のことである』。とあります。この文節の前に、[場]を理解するのには、自分が自分の体の一つの細胞になったと考えてごらんなさい。その細胞が居座った時、細胞がそこへあった時、その全体が[場]と考えればよいのだよという説明がありました。この説明を支えとして、やや飛躍しすぎた突飛な考えとご批判もあるかと思いますが、[場とその活動状態]は[気]という一字概念で包括し得るという考えに至った次第なのです。
この[気]という言葉を目にし耳にすると、たちまちに想起する言葉があります。ご存知の、荘子『荘子』外編・知北遊編 第二十二にある、
『人之生、気之聚也。聚則為生、散則為死』
人の生や[気]のあつまれるなり、 あつまればすなわち生となり、 散ずればすなわち死となる。
です。
[気]が聚まって生となり[気]が散じて死んじゃうんだ、と。[気]の消長を言い当てて誠に妙です。
生死を分ける「気のライン」
生死を分ける「気のライン」
[気]の聚と[気]の散との間には両者を分けるラインがあるはず。すなわち生死を分ける lineがあるはずで、私はこのラインを[気のライン]と名付けています(Dead lineに相当)。そして[気]の聚はただ[気]が聚っているだけではなく絶えず活動して動的な平衡状態を保っている。これが東洋医学における[生の認識]です(スライド参照)。 ですが、ここで改めてもういっぺん[気]というものは一体何なんだろうかということを考えてみたいと思うんです。
話柄はガラッと変わります。一挙に21世紀の科学の問題になりますが、私の認識はこれからご説明する範囲でしかないので、この件に関するご質問は一切お受けいたしませんので、悪しからず。(一同笑い)
1981年、前世紀末に、ビッグバンに伴って宇宙にはこういう現象があったということを東大の佐藤先生が提唱されました。それは[インフレーション理論]というものです。当時は画期的な理論として注目され、その後やや下火になりましたが、昨今の素粒子等の新知見とともに再び脚光を浴びつつあるようです。で、インフレーション理論とはどういうことかと言いますと、初期の宇宙が指数関数的な急膨張を起こしたという初期宇宙の進化モデルなんだそうです。これ以上の事は聞かないで下さい(スライド参照)。(一同笑い)
「無」から創生した宇宙
「無」から創生した宇宙
佐藤先生のお話によると、宇宙は[無]から創生したというのです。ところで、宇宙物理学的に[無]はどのように解釈されているんだろう、と読み進んでいきますと佐藤先生は、『常識的には[無]というのは何もない状態なんだろうが、物理学的には[ゆらぎ]のある状態』である、とちょっと訳が分からない事をおっしゃっている。じゃあ、[ゆらぎ]とはなんだろうかというと、『[ゆらぎ]とは、素粒子の生成と消滅が繰り返されることにより起きていて、物理的にはこの[ゆらぎ]は消せない』んだそうです。で、この理論を目にした時には何がなんだか分からなかったんですが、最近のノーベル賞受賞研究によってみると、ニュートリノとか、素粒子とか、我々には全く見えないけれど我々の生活世界には満ちみちてあるものがあるんだなということが実証されてきましたね。そうするとそういう見えないものが[ゆらぎ]なんじゃないかと・・。言い換えれば、無と有の間を[ゆらいでいる]状態、これも訳の分からな言葉ですけれども、まあそんなような状態だと理解できるようになりました。
「ゆらぎ」の視覚化
「ゆらぎ」の視覚化
そこで[ゆらぎ]の視覚化を試みてみました。すると、ゆらいでいる情景は[気]の字の象形の鋳型と思われてきたのです。こじつけとは思いません。よし、こじつけと言われようとも私は私の勝手論としてそう思ったのです。
宮川先生からさきほど道教のお話がありました。その後の12世紀には儒教を基にした朱子学が台頭してきますが、その朱子学の中心人物に朱熹という人がおります。その朱熹が、生命現象を含めた世界というものの認識をまとめた著作があります。その中で朱熹は、[気]は見えないけれど物理的な存在であると明言しているんですね。で、微細な[気]の存在というものを前提として、[気]は異なったエネルギー状態にあって激しく運動の変化を起こしている。その積極的な運動の層が陽であり、消極的な静止相が陰であって、この陰陽の働きによって[五気]が生まれる。全ての万物はこの[五気]によって生成されていると言うのです。そして[五気]がそのままの状態を保っていれば気体であり、凝結すると液体になり、凝固すると個体になる。この[物質の相転移現象]を、世界ならびに人間を理解するための基本的な考えであると朱熹は位置づけた訳です(スライド参照)。
ここで余談を挟ませていただくことをお許しください。[気]にまつわる私としては貴重な体験談なのです。その体験とは、先の[気]の付くコトバのスライドにたまたま漏れていた[気配]というものについてのことです。
昨年(2016年)の夏の某日。早稲田大学オープンカレジの聴講(『正法眼蔵』の講義)の席で、いつもより講師の声が小さいなと感じたのが前兆でした。それから三日後、数年前に右耳の聴覚を失い左の耳にしか残っていない聴力が完全に失われ、全聾状態に陥るという不運に見舞われました。診断は突発性難聴でした。主治医の次の外来日を待つまでの一週間、無音の世界に居場所を移すことを余儀なくされ、有音の世界との違いの中で、大きな気づきがありました。その気づきとは、ものの[気配]、特に人の[気配]を全く感じなくなったことです。衣擦れの音が醸し出す色[気配]の娑婆世界とは違い、経典にも出てこない別世界です。そして恐ろしい世界と感じました。言い換えれば自分の周囲(場)には波動([気]の動き)がないのです。その感覚が、人間には蝙蝠が発する超音波に似たある極微のものを発していて、その波動を捉え、周囲の世界を感知しているのではないかという思いを強めました。その極微の跳ね返りを感知する聴覚機能が崩壊してしまうと、現今の人類とは形態は一緒でも、別種の人類として無音という名の別世界([気]が感じられない世界)に居場所を移さねばならないということも・・・。短時日とはいえ無音の世界に移り住み、[気]を感じられなくなったことで、逆に見えないけれど[気]は確実に実存することを知った実体験談としてお耳を拝借した次第です。
話を本筋に戻します。今までお話したことを念頭に、もう一度荘子が言う生と死に伴う[気]の消長を振りかえってみます。
荘子の『人の生』は[気]の聚るところの文言を[宇宙の生]に置き換えてみます。次に[無]は先ほどお話した通り物理的には[ゆらぎ]として消せないんですから、これを[気]に置き換えてみます。すると、人の生の[気]と宇宙の生の[気]とは全き同根であると解釈できる図式が成立します。つまり、東洋医学でよく言われる[人体は小宇宙]という文言の由来が明確に認識できるようになります。愚見ですがこの図式が東洋医学における基本的な生体観の理解を助ける図式と考えていますが、いかがなものでありましょうか(スライド参照)。
以上に関連して、昨年は、四世紀に生きた中国の僧肇が現した肇論にある『天下我と同根 万物我と一体』、という文言の紹介をしました。今年は道元禅師が『正法眼蔵、唯仏与仏巻』でおっしゃっている言葉を紹介します。
尽大地は是れ真実人体なり
人間の体は小宇宙であると喝破しておられます。大変重い素晴らしいお言葉です。覚えておいて欲しいコトバです。
くどいようですがもう一度荘子の言葉に還ります。
[気]が散じると死になるという言葉の解釈ですが、つい3,4年前までは、散ずるとは滅することに通じると思い込んでいました。が、この解釈は非常に表層的であることに気づきました。散とは字義の通り散ってバラバラになるということで、消滅する滅とは次元が違う現象であることに、お恥ずかしいことながら遅まきながら気がついたのです。では、消滅せずにバラバラに散った[気]はどのような状態なのであろうか、それについては後でゆっくりお話しするとして、[気]が聚って生となる状態に関する西洋医学と東洋医学の考え方の相違について復習しておこうと思います。
西洋医学では生の状態を、検査値(基準値)というラインを設け、そのラインを境に健康と病気とを分けます。いうなれば病気(病態)を検査値の異常値をもって可視化するんですね―見えるもの・かたちにする―つまり文明です。そして病態を健常態に対しネガティブな現象として二極対立的に位置づけます。一方、東洋医学は検査値(基準値)というようなラインは元々ないわけで、生きている限り[気]の動的状態は保たれていると認識し、生全体はポジティブな現象と位置づけます。そして[気]の動的状態が衰えてきた状態を病態と捉え、健常態から病態に移行する領域に未病という概念を挿入して、連続性をもって生全体のポジティブな現象―生きていればこそ病気にもなるのであって、死んでしまえば病気にはならない―を認識するのです。しかし、この間の[気]の消息の可視化はできません。つまり文化です
洋の東西における病気の考え方
洋の東西における病気の考え方
西洋医学では検査異常値で示される病態はネガティブな状態として否定的に捉え、東洋医学では病態も生の一環としての生体反応―[気]の消長―として肯定的―ポジティブに―に捉えるのです。したがって治療のベクトルは西洋医学では否定部分を取り除こうとする方向性を持ち、東洋医学は肯定部分を是認する方向性を持ちます。発熱を例にとれば、西洋医学の治療はまずは解(下)熱対策が先行するのに対し、東洋医学ではまずは必然性を帯びた生体反応と捉え直ちには解(下)熱のための治療は控えます。この違いを西洋医学的治療は[対治]、東洋医学的治療は[同治]という言葉で表現し、区別します。
その2へ続く

「鍼灸の風景」その4 (2015)

<出典情報>
初出 鍼灸師育成シンポジゥムにおける基調講演(2015年5月6日,成城ホール)

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「鍼灸の風景」その4

最後に、じょの臨床のお話をします。
四苦八苦という言葉はご存知ですね。四苦とは生・病・老・死を言います。人間は本質的に苦の担体であり、生きている上での宿命的・運命的なものです。
さて、病気(または疾患)は、“病いやまい”と“患いわずらい”とに分けて考えられます。病い(通常は病名を指す)のかたちは視覚的に認識することができる、つまり客観的に把握できる事象になりました。例えば血圧をはじめとして、血球数、コレステロールの血中濃度、腫瘍マーカー等々は数値で、心臓の電気的興奮状態は心電図で、脳の形態と血管や興奮状態はMRI、MRA、fMRIで視覚的にとらえられます。
病いと患い
一方、患いは数字では表すことができない主観的な事象であり、いわゆる人間が抱える苦の本体で、本質的に視覚化・数量化できるものではありません(スライド参照)。その内容は人間的・情感的であり、さらにきわめて個別的なものです。が故に、極言すれば、自然科学を認じ、視覚情報・数字に依拠する現代医療(法でいう狭義の医療)は病いに対しては得手ですが、患いに対しては不得手と言っていいでしょう。だいたい現代医学の教育課程には、患いに向かい合う人間的素養・コミュニケーション論的な教科などは無いに等しいのですから。
では、素朴な疑問ですが患いを得手とする医療はあるのでしょうか。あるのです。それが“もう一つの医療”であることはもうお分かりのはずですね。“もう一つの医療”の本質は同治です。患いという荷を共に担ぎ、まずは荷の重さを減らしてあげることから始まる医療です。ですが“もう一つの医療”(漢方を除く)は狭義(法的)の医療には含まれていないのです。
第3回世界鍼灸学会連合会(1993年、於:国立京都国際会館)の特別講演で私は医療の概念形成について一言申し加えました。その講演を基調とした「高齢者ケアのための鍼灸医療―鍼灸の新しい概念を求めて―」と題する本を出版(医道の日本社発刊;1995初版 すでに絶版と聞く)していますが、その一節を紹介します(本書46頁)。
●医療とは―広義の概念
「医療」という語彙について、はっきりした概念形成を行っておくことが必要になってきました。
佐藤淳一氏の言葉を借ります(佐藤淳一:医療原論構築のためのメモ、講座 人間と医療を考える1 哲学と医 療,pp.109-137,弘文堂,1992)。氏は、我が国では専ら近代医学の治療のみを「医療」と呼ぶ、いわゆる狭義の概念が支配的であるといいます。しかし、さかのぼって歴史的に「医療」のイメージを求めても、「病気・健康をめぐる人間の概念と行為」は極めて多様であったこと。さらに、現代社会においてもこの多様性が実存するばかりでなく、近代医療とは関係のない「治療の方法・形式」の数と領域は、むしろ近代医療の発展・展開と共に減少するどころか増加している事実を論拠として、近代医療だけを医療とするのではなく、たとえ近代科学や近代合理主義からみて非合理であっても、その時代その社会の文化・観念に支持された<「病い・治療・健康」などをめぐる社会的文化的事象>を「医療」と考えるべきであるとして、「医療」に関する広義の概念を提唱しております。筆者(私)は「医療」にこのような広義の概念を及ぼすことに満腔の賛意を表します。
医療の概念
筆者(私)には、鍼灸医療のidentityというものは、人間社会には広義のしかも複数の医療が存在し、それぞれがそれぞれの存在を認め合い、またそれぞれが多少とも相互浸透性である「医療」の社会的基盤に立って論じられなければならないという、確信にも似たものがあるからです。その基盤とは、佐藤氏がいう「病者が自由に選択しているかぎりにおいては複数の医療は同じ医療として等置される」というものであり、医療を人間科学として位置づけた基盤であります。」 
ちょっと理屈っぽい話になって、眠気を催したらごめんなさい。要は「医療」とは、狭義の医療と“もう一つの医療”とが等置されているかたち・広場でなければならないということを言いたいのです。
その昔とある学会で、「『鰯の頭も信心から』ということわざがあるが(江戸期、節分の夜、鰯の頭を柊の枝に差して、戸口に飾り、鬼を追い払うという習慣があった)、それ(信心)でその人の患いが癒えたらその当人にとってそれは医療だ」と発言したところ大変なブーイングを浴びたことがありました。
それから、つい先だってのことですが、知人の初老のご婦人が、最近手指の爪先が猛烈にしびれて、冷たくて、どうにもしょうがない。で、ちょっと思いついてマニキュアをしてみたんだそうです。普段はマニキュアなんかする方じゃないのですけれども、何だか分からないけれどもマニキュアをやってみた。そうしたら途端に指先が暖かくなって症状がとれた、と仰るんです。「どうしてでしょう?」と尋ねられても、「うーん、どうしてですかねー・・・」と言葉を濁しながらも、でも、私の心の中では、その時点で、その症状に対して奏功したマニキュアは貴女にとっては医療なのです、という答はあったのです。が、なかなか理解しにくい問題なので、言葉にして返答することは控えました。でも、私ははっきりそう思っています。
話がちょっと横道に外れました。患い、の話に戻します。
これからお話しますことは、本日特別講演をお願い致しました大槻宏樹先生(早稲田大学名誉教授、早稲田オープンカレッジ講師)の講義中のつぶやきに端を発します。早稲田オープンカレッジで先生の講座 Death Education を取らせていただいたのですが、老人医療のお話の中で、こんなつぶやきがありました。
「近ごろの病院外来で呼び出しのアナウンスに『○○様』と呼ばれることがあるが、患者に『様』づけはなんとなく空々しく聞こえる。そもそも患者という字が気に入らない。頭から串刺しにされているように見え、差別的な感じさえ受ける」
というものでした。ですが、私にとってこのつぶやきが大変なヒントを与えてくれるものになったのです。
昔から「作文三上」という言葉があります。物を考える、文を作る、その格好の場として一つは馬上、馬に乗っている時、二つ目は枕上ちんじょう、まくらの上、三つ目は厠牀上ししょうじょう、トイレで座っている時ですね。その夜、しばし枕上で考え続けました。そして考えたことを手紙にしたため大槻先生にお送りしました。その手紙の文面を披露させてもらいます。
季節のご挨拶、平素のご指導を感謝申し上げる文言に続き、
『話柄は替わりますが、患者さんの患の字について患者側に立った現実的なお話(つぶやき)がございました。おっしゃる通り「串刺し」と言われると、なんとなく現身うつせみの苦痛と、あわれさをも含意した字感ではあります。
patientはpatience ―我慢する― の名詞形で「我慢する人」であることは御承知の通りでございましょうが、これを日本字に当てた場合、「患者」より仕方がなかったのではないかと思いますうちにも、我流ではありますが、私は、我慢しているという憐憫よりも、「よく我慢していてえらい人だなー」と、むしろ尊敬の念を添えて捉えております。
医療人類学では「疾病」を「病い」と「患い」とに分けて考える見方があります。「患い」は「病い」を因として派生する身体的・精神的な純人間的な苦しみとします。「病い」は可視化・数値化は可能ですが、「患い」は極めて個人的で数値に置き換えられる性質のものではありません。通常、病む人の多くは、この「患い」という念慮の重みに苦しんでいる(自覚している場合もあればしていない場合もある)状態にあると、私は思っております。
そこで、考えたことがございます。患の字を串と心にバラします。そして串を横にして二つの箱を外方向に引き離しますと、天秤棒の両端に箱(荷)がぶら下がった形(スライド参照)になります。
「患」者のイメージ1
この形を実地臨床に繋げます。
『対面する患者さんの姿は、天秤棒で重い荷を担いでいる姿(患の字姿)と思いなさい。箱には患いの種がいっぱい詰まっている。そこで医療者は、患者さんが天秤棒を肩から外し荷を下ろし、箱の蓋を開いて中身が全部見えるようにしてくれるようなコミュニケーションを実践しなさい(傾聴・共感)。そしてまずは天秤棒をこちらに預かる。次に箱の中身を整理して不要なもの(いらぬ心配事)などを取り出し荷を軽くしてあげる(箱を一つに減らすのも良し、皆空っぽにしてあげるのも良し、もしくは天秤棒ごと預かるのも良し)。つまりは、患いという名の重荷をできるだけ軽くしてあげる、もしくは重みを肩代わりして、心にかかる負担を減らしてあげるというほどの利他・布施心に徹した臨床を心がけなさい。』
「患」者のイメージ2
あるいは、『患者さんの姿に患の字形を重ね合わせたイメージ像を作りなさい。重い袋を二つも頭の上に乗せて喘いでいる姿を(スライド参照)。その袋の中身は患いがぎっしり詰まっていると思いなさい。しかも袋が動かないようにクシ刺しにされ、クシの先端は頭皮にまでおよんで、さぞ痛かろうと。 
そうイメージすれば当然のことながら、医療者とすれば先ずはクシを引き抜いてあげようと思うだろう(スライド参照)。その思いは積極的なコミュニケーションに現れ、さらに共感を伴った営為を心がければ、患者さんも協働して、クシを引き抜いた穴から患いを追い出すことができるようになるだろう。それがPCM (Patient-Centered Medicine) 実践の臨床の姿だ。』
いかがでございましょうか。先生の余談とおっしゃった一言(つぶやき)が、PCMを説くに、新たな教育言語(比喩)を授けて下さったようで、感謝をしております。
恕の臨床の入口
以上の書簡の中の、竿を外す。串をポイっと抜いて捨てる。このテクニック、それが傾聴です。共感を携えての傾聴。とにかく聴く、心を傾けて物語を聴く、そしてその物語を尊重する。いわゆるナラティブ・アプローチの入口(Narrative based Medicine)であり、私の言う恕の臨床の入り口になるのです。
では、[恕]とはどういう字義を持っているのでしょうか。私が担当したある授業の学生用配布資料の末尾に、”自分がされて嫌なことは人に向かってしないこと”という文言をゴシック体で載せたことがありました。それに目を留めた宮川先生が「これは「恕」のことですね。どこでそのこと(言葉)を知りましたか」とおっしゃったのです。「いや、どこということはなく、自分で考えたことです。」と返事をしたところ、「あなたは孔子を超えた」と、突拍子もない言葉が返ってきました。えらく褒められたのか、おだてられたのか、からかわれたのかよく分かりませんでした。が、続く宮川先生のお話の中で、孔子の弟子の子貢が、生きている間に実行すべきことを一言で尽くせる言葉を教えてくださいと問うたところ、孔子は「それは『恕』である。己の欲せざる所のものは人に施すことなかれ」と答えたことが『論語』に記載があるということを知りました。
「恕(思いやり)」を籠めた臨床詩
「恕」の解釈はいろいろあります。原爆投下何年目かの記念式典の折に、NHK交響楽団の演奏に先立って日野原先生の記念講演がありました。その中で「恕」を紹介され、先生は恕を許すと解釈されました。キリスト教のお考えでしょう。が、私はもうちょっと積極的に「共感・思いやり」と解釈しています。
その思いやり(「恕」)を籠めた臨床詩を作りました(スライド参照)。
聴いて診て 応えて触れて 病む人の 患う心に 添う思いやり
まず、「聴いて診て」ですが、ここは、問診と聞診、「診て」には望診が入るでしょう。「触れて」は切診。これで四診が詠われます。「応えて」とは共感です。共感は医療面接によって生まれます。ここが問診と医療面接との大きな違いであることを力説してきました。医療面接を鍼灸教育の現場に持ち込んだ時、大変な抵抗に遭いました。ある研究会では、医療面接の説明をしている私の面前で「問診と医療面接とどこがどう違うのですか。国技館の相撲の土俵の上でプロレスをやっているような違和感を感ずるのですが・・・」と、こんな発言を堂々とする教員もいる時代がありました。
恕の臨床の姿(風景)
次の「病む人の患う心に添う思いやり」っていうのがいわゆる恕の心でして、以上の段取りをきちっと踏まえ実践することが、恕の臨床の入り口ということになります。
もう一遍言いますと、「聴いて診て触れて」というのが、望聞問切。「応えて病む人の患う心に添う思いやり」が共感。それに、一鍼、一灸、入魂の治療とが加わって、恕の臨床の姿(風景)が整うのです。
さて、そろそろ本日の講演の標題である鍼灸の風景の取りまとめにかかりましょう。
三木清さんという方の『哲学入門』の「人間と環境」の項にこんな一節を見つけました。
「人間と環境とは、人間は環境から作られ逆に人間が環境を作るのである」
「人間は環境を形成することによって自己を形成してゆく、―これが我々の生活の根本的な形式である。我々の行為はすべて形成作用の意味をもっている。形成するとは物を作ることであり、物を作るとは物に形を与えること、その形を変えて新しいものにすることである」
勝手ながら環境を風景に読み替えて話を進めます。
現代にいたるまでの世間秩序・制度の変革も大きな要因となってはいますが、先人が築いてきた医療界における鍼灸医療の居場所・風景はなんとなく模糊として霞んでいるように見えて仕方ありません。そこでこれまでお話ししてきたことから、医療界における現代医療と“もう一つの医療”の住み分け・役割分担をはっき再認識して、ぼやっとした風景から脱して欲しいのです。
治未病医療・積極的養生医療という鍼灸が主張する鮮やかな色彩を、伝統というキャンパスに彩って欲しいのです。そしてそのキャンパスは現代医学のキャンパスと一対をなし、文化として記録されるばかりではなく、文明の中で語られる風景の中に定置されなければなりません。
医療も文化の一事象ですから、医療の一角を占める鍼灸医療も文化なのです。しかし、不易流行(芭蕉)を心得なくては文化の遺産として床の間の置物に終わってしまいます。次の時代に生きた文化として繋げて行くためには、受容は肯定的に継承は批判的に、現代という時代の洗礼を受け、現代文明という風景の中に溶け込まなければいけません。
「風景が人を作る。風景を生きている。自分の背景には風景がある。」「背負っている風景。自分を創っているものは風景だ(長田弘)。」数々の賢人の言葉があります。またホセ・オルテガ・イ・ガセットの言葉に「あなたが住んでいる所の風景を話してくださったら、あなたがどんな人だか言ってあげましょう」というのがあります。
開業しておられる貴方がたが背負っている風景。それを語ってくれればその地域の医療界の中で、貴方がどんな役割をはたしているか言い当てて見せますよ、と言われているようですね。
患者さんたちは貴方がたが背負っている風景に安堵感を求め、あるいは感じてこそ来院されることは間違いありません。
貴方がたそれぞれの立場で、それぞれ個性豊かな、そして信頼され、患者さんに安堵感を与える、貴方がた背負っている鍼灸の風景を作ってください。そしてそれは、恕に満ち溢れた風景であってほしいのです。
老骨に講演の機会をお与え頂いたこと、それに眠気を抑えてよく聴いて頂いたことに対し満腔の感謝の意を捧げ、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
講演中の丹澤章八氏

「鍼灸の風景」その3 (2015)

<出典情報>
初出 鍼灸師育成シンポジゥムにおける基調講演(2015年5月6日,成城ホール)

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「鍼灸の風景」その3

その2までで、伝統医療なかんずく鍼灸医療は、治未病医療として現代に継承されており、その内容は積極的養生医療であることを説明してきました。ここ(その3)ではもう少し詳しく、鍼灸医療が現代医療とジャンル(領域)を異にする“もう一つの医療”と称するわけを説明し、その“もう一つの医療”が医療界にどのように位置づけられるかについて私の考えを述べることにします。
DNAの解析が進んで、単因子遺伝性疾患はおおかた特定できるようになり、引き続き多因子遺伝性疾患、例えば生活習慣病等になりやすい人などの特定もできるようになりつつあるようです。それで、これからはDNAを中核とした医療、例えば数ある高血圧の内服治療薬の中からどの薬剤がその患者さんに最も効果的であるかを、患者さんのDNA情報に基づいて選択・治療できるような個に応じた医療の時代になる。その流れは一次予防領域へも拡大し、生活習慣病を含めた種々な難治性慢性疾患等の高リスク群の選別が可能になり、新たな対策も生まれることになるでしょう。どちらかというと普遍的・標準的である現代医療が個別戦略的医療に変わっていく。その姿をオーダーメイド医療と称して喧伝するようになりました。
さてそこで考えてみてください、伝統医学なとりわけ鍼灸医療の本質(面目)は、まさしく極めて個別的な医療(オーダーメイド医療)ではなかったでしょうか。じゃあ、現代医療がいうところのオーダーメイド医療とどこが違うのでしょうか。検証してみましょう。
答えは簡単です。それは個の概念に相違があることなのです。すなわち、現代医療で言う個の対象はDNAレベルであるのに対し、伝統医療で言う個は“身心一如”のレベル、言い換えれば全人的レベルであることに両者の間に大きな違いがあるのです。この概念の相違はジャンルの相違を意味します。ですから、現代医療を通常医療と呼ぶとすれば、伝統医療は通常医療の代替でもなければ補完するものでもないジャンルを異にする “もう一つの医療”と呼ぶべきだと思うのです。お分かりいただけますね。
そこで私はその相違をもっとはっきり認知していただくために、現代医療で言うオーダーメイド医療は“細胞大のオーダーメイド医療”、伝統医学で言うオーダーメイド医療は“等身大のオーダーメイド医療”と名付けました。
このスライドは前世紀末から使っていますので、見た方もいらっしゃると思いますが、今でも通用するものですからまあ見てください。
村井敦志:高齢者のリハ、病院設備35,1993.を一部改変加筆
日本人の平均的日常生活動作(ADL)能力が年齢を重ねるに従ってどのように変化していくかをグラフで現したものです。y軸が日常生活能力、x軸が年齢です。まず黒い線を見てください。ADL能力は30歳をちょっと過ぎると頂点に達しその後は下降線をたどり(減衰)、50才を超えると減衰の速度が一挙に速まります。70才代になると減衰は一休みするようにx軸とほぼ平行状態になり(スライドの○で囲んだ部分)、80才代でx軸と交わってゼロ(死)になります。著者によると○で囲んだ平行線状に見えるところは寝たきり状態を現わしているんだそうです。そこで国はまずはこの○で囲んだ状態を無くそう、すなわちスライドの白線で示した状態(寝たきりをなくす)に持っていこうという目標をたて、そのための対策、つまり寝たきりゼロ作戦と称する対策が前世紀末から盛んに展開されつつあります。と同時並行的に、世界に冠たる超高齢化社会を認ずる国策としては、健康寿命を目指すべきとして(スライドの赤線部分)いろいろな施策が講じられつつあります。となると、人間、特に老人の欲として、スライドの緑線で示したように、来世に旅発つ寸前まで青年期のADL能力を維持し人生を謳歌しながらストンと逝きたい(場内笑い)。神仙思想じゃないけれどそんな不老長寿社会の実現を夢見るものです。
ま、それはともかくとして、健康寿命・生涯現役社会を旗印とした超高齢者社会を築くためには、いかに専門分化した現代医療の細胞大オーダーメイド医療をもってしても、全人的にケアが行き届くわけにはいかず、カバーする領域に凹凸が生じ分化が進めば進むほどその凹凸が目立ってくるのではないかと予想され危惧されます。
そこで、その凹凸を埋めならし、危惧を解消するためにはどうすればよいか。そこに“もう一つの医療”である等身大のオーダーメイド医療の存在が必然的に要求されてくるのです。いうなれば、細胞大オーダーメイド医療と等身大のオーダーメイド医療とががっちり手を組んだスクラム体制、その体制が超高齢者社会を築くための医療の姿であり、即21世紀の医療の在り方と思うのですが、いかがでしょう。
くどいようですが“もう一つの医療”のベクトルについて、現代医療との対比を通して言を重ねます。
講演録3図2
健康と病気の概念を模式図にしてみますと、西洋(現代)医学は、正常検査値(今は基準値という)というラインを設け、そこから上の部分、つまり異常値が見つからない状態を健康状態、下の部分、異常値がある状態を病的状態(病気)と捉えます。検査基準値のラインによってポジティブ(健康)とネガティブ(病気)に区別する完全な二分法、対極的パラダイムです。これに対するに伝統(鍼灸)医学は,基準値というラインはなく健康も病気も全生命現象一体として捉えます。これが伝統医学―“もう一つの医療”―と現代医学との健康・病気概念の相違点を示す図式となります。両者に共通な生命現象に関するラインといえば生死を分けるライン ―デッドライン― がありますが、私はこれを気のラインと呼んでいます。すなわち気のラインから上の部分は、生きているという現存在であってすべてポジティブ(全生命現象)なわけです。ですから病気も(肉体を伴った気が病む)生きているという現存在から見ればポジティブな現象なのです。死んだら病気にはかかりませんものね。
では全生命現象の中身をどう捉えればよいかということになりますが、観念上(考え方を整理する便宜上)それぞれの状態を“相(phase)”と捉える、つまり病気の相、元気の相、その二者をつなげる未病の相というようにイメージすると、伝統医学が唱える全生命現象の連続的・相互関連作用的パラダイムという考え方が理解しやすいのではなかろうかと考え、前世紀末からしきりにこの考え方を提唱してきたのです。が、目立った異論者も現れないかわりに、同調者も現れません。(場内多少の笑い)
でもこうやって図に現して整理していきますと、治療のベクトル(スライドで示す矢印)が現代医療は一方向的に見えるのに対し、”もう一つの医療“は双方向性(元気の相を増やし未病の相を減らすことによって病気の相を縮めていく)に見えることから、現代医療はもっぱらネガティブを排除するキュアの医療、一方“もう一つの医療”(鍼灸医療)は気の平衡を整え自然治癒力を援助するケアの医療であることが、はっきり掴めると思うのですが、いかがでしょうか。独断ですが“もう一つの医療”の概念はここですっきり掴んでいただけたと確信します。
ベクトルに関しての考察をもう少し深めてみます。
もう一度スライドを見てください。病的状態に対するベクトルは現代医学は下向きであり、これを否定の形とみれば、対する伝統医学はある点を起点として上下に広がる形、否定に対し肯定の形と見えませんか。この形の相違、いうなれば否定の医学と肯定の医学とも表現できる事情を臨床哲学的に考察してみます。
仏典(倶舎論)に対治たいちという言葉があります。出家修行に差し障るすべての煩悩を断ち切る手段の総称です。この対治の対語として同治どうちという逆の概念を現す言葉があります。対治は否定的な医療、同治は肯定的な医療に置き換えられます。
講演録3図3
古い話ですが日本医事新報(第3066~3068号 昭和58年)に、駒沢勝一という多分小児科の先生だったと記憶していますが、その先生が書かれたエッセイが載っていたのですがその一部を紹介します。読みますね。
『前に中川米造氏と加藤弁三郎氏との対談を読んだことがある。その中で加藤氏は、同治と対治について説明されていた。これらは仏教の言葉で、例えば発熱に対して氷で冷やして熱を下げるのは対治で、暖かくして汗を十分にかかして熱を下げるのが同治だと説明されていた。あるいは、悲しんでいる人に、悲しんでも仕方がない、元気を出せよと言って、悲しみから立ちなおすのは対治で、一緒に涙を流すことによって心の重荷を降ろせてやるのが同治だと。』
中川米造先生は医療倫理・哲学の権威、加藤弁三郎氏は協和醱酵工業(現・協和発酵キリン)の会長で仏教信奉者でした。対治と同治との対比を見事に説明されていますね。で、最近読んだ池田晶子さん、40才半ばにして癌で倒れられた稀有な女性の哲学者ですが、この方が書かれた「41歳からの哲学」の中でこんな言葉をみつけました。
『この世で生きるということは、身体をもって生きるということである。身体は自然だから、変化する、壊れる、やがてなくなる。健康とはそういう自然の事柄によりそうというか、いやむしろ離れてみるというか、流れに逆らわず舵をとるような構えのことであろう。』
このセンテンスの中の『健康とは、自然の事柄によりそう、流れに逆らわず舵をとるような構えのことであろう』こそ、まさに同治の本質を言い当てている文言ではないかと思いました。これは転じて養生医療の基本的な定義にも通ずるものであるとも思いました。そして流れに逆らわず舵をとってまっすぐな航路にしようとする働きに積極的という形容を冠してもいいのではないかと考えたのです。積極的養生医療という言葉の奥にはここまでにお話ししたもろもろの想いが詰まっていることをご理解ください。
講演録3図4
それではここまでお話ししたことを踏まえて、“もう一つの医療”は医療界の中でどのような位置づけにあるかについて考えます。
まずは医療界を大衆的視点で俯瞰してみましょう。身近なプライマリケアから始まって、大学・大病院を基軸として専門分化した多数の診療各科があり、医学・医療研究の発展の成果として先端医療、再生医療が加わり、人口の高齢化・慢性難治疾患の増加に伴って緩和医療が独立し、領域はどんどん広がっていくようです。でも従来から、予防医学とプライマリケアとの間には隙間があり、その隙間(領域)を埋める、いわば予防医療とはっきり言えるものはありませんでした。ところがこの領域に名称がつきました。未病です。領域に名称がついたのですから未病に対する医療の存在は必然性がありますね。
元京都大学の総長で、今は先端医療復興財団理事長の井村裕夫いむら ひろお先生、今年開かれた第29回日本医学会総会会頭を務められた内科学の権威ですが、その先生の編になる「医と人間」という書籍の中でも未病の医療という言葉を使っていらっしゃる。その存在の必然性を認めておられます。しかし先生のおっしゃる未病の医療の中身は、遺伝子研究の進歩により一定の確度で予測して発症する前に介入する個別的な対策、やはり細胞大のオーダーメイド予防医療とでも言えるものなのです。その中身からすると未病の医療という名前はしっくりこなかったのでしょうね。3年ほど前にpreemptive medicine (preemptive attackは先制攻撃)という言葉に出会ってからは、それを日本語に直して“先制医療”という言葉を使い始めたということです。そして第29回日本医学会総会で採択された“健康社会宣言2015関西”の第一項目;治療から予防へのパラダイム・シフトの宣言文として、
『少子高齢社会にあっては,病気の予防がなによりも重要である。そのために胎生期から死に至るまでの終生にわたるヘルスケアを推進する。とくに加齢に伴う慢性疾患(いわゆる生活習慣病を含む)においては,臨床症状などの異常が現れる前に予測し,発症前に介入する先制医療を目指すべきである。すなわち,治療から予防へのパラダイム・シフトを行っていく。それとともに高齢者が寝たきりにならないように,筋力の維持,リハビリテーションなどの対策を進める』
と謳われ、先制医療はすでに公用語の地位を獲得しているようです。
でも、先制医療の概念は、遺伝子研究の進歩に依存し、遺伝情報に基づき一定の確度で予測して発症する前に介入する対策であって、未病の医療(治未病医療)を即、先制医療に置き換えるわけにはいきません。なぜなら、終生にわたって混在する多くの未病(前に説明した“未病の相”のことです)に対して適応する医療とは言えないからです。すなわち先制医療は治未病医療の一部と考えるべきと思います。ではその残部を埋めるものは何か、その何かは“もう一つの医療”であり、“もう一つの医療”が医療界に占める座はここにある、と私は考えます。そして“もう一つの医療”の代表格は鍼灸医療であることも。
講演録3図5
先制医療と治未病医療(鍼灸医療)とはジャンルが違います。ジャンルが違うものの連携は、異なるジャンルの特色が加算され1+1=2の成果はもちろん期待でますが、2以上の成果を上げようと思えば双方に連携を超えた協働の意志の共有とその実践が望まれます。その意志を醸成するには双方の衆智・理解が必要でしょう。まずは伝統医学側の現代医学に関する知識の深化と拡大、その方向性に沿った卒前教育並びに卒後研修の充実が急務です。
時代は変わり、鍼灸臨床は緩和医療の領域にも深いかかわりを持つようになりました。死に向き合う患者さんに対する身心両面に対する臨床家としての対応、特に他者の死生観が理解できるための自らの死生観の醸成は、必須の心得となってきたことも忘れてはなりません。
その4へ続く

「鍼灸の風景」その2 (2015)

<出典情報>
初出 鍼灸師育成シンポジゥムにおける基調講演(2015年5月6日,成城ホール)

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「鍼灸の風景」その2

「風景論から鍼灸を考える」という話に移ります。
東京駅を発って小田原を過ぎると富士山が姿を見せ、熱海、静岡を経て名古屋に着きます。さて、名古屋を過ぎると、こんな景色が現れます。―でも、リニアになればトンネルが多いのとスピードが速すぎてこの景色は見えないでしょうね―。
東海道新幹線の車窓から見える風景(日本の田園風景)が連続して現れて画面は左から右へと流れ、新幹線のスピードを体感するように流れ方が次第に早くなる
そして、京都に着きます。京都で山陰線に乗り換えて明治鍼灸大学に着く。家を朝7時に出て、昼頃大学に着き、教授会に出席して、それから2コマ講義をこなし、大学を4時か4時半ごろ失礼し、また山陰線から京都で新幹線に乗り継いで帰ってくる。京都では改札口から外へは出ない。無駄遣いはしない。という事で、家に帰ってくるのが夜11時半頃ですか。この道程を1か月に2~3回程度、11年間続けたわけですね。
この当時の新幹線にはまだ2階建てのグリーン車がありましてね。階段を昇るとすぐ左側に孤立した一席だけのシートがあるんです。往(ゆき)には必ずその席を取って、パソコンで原稿を書いたり、その日の講義の再チェックをしたり、移り行く風景を眺めたり、周囲に気兼ねせず干渉もされずゆったりとした時間を過ごしたものです。
そんな東海道の旅を続けているうちに、名古屋を過ぎたあとの車窓に写るある景色(スライドの田園風景)が視界に現れると、何とはなしに言い知れぬ安堵感を感じるようになったのです。その風景とは、司馬遼太郎の『街道をゆく』に出てくるような景色。それはいまでも残る昔の街道沿いに、ひときわ高く大きい切妻きりつま造りの瓦屋根が目立つお寺(浄土真宗のお寺であろう)を中心にしていらかを寄せ合う小さな集落があり、周囲は畑に囲まれ、背後は里山を隔ててなだらかな丘につながっている。そして集落とはちょっと離れたところに集落を見守るように孤高の気が漂う鎮守の森が見える、そんな景色です。こんな景色が新幹線沿線にはまだ点々と残っているんですよね。この景色がうまく形容できないのですが、言うに言われぬ安堵感を私に与えてくれたのです。なぜだろう。じっくり考えてみました。そう、まことに奇想ではありますが(気が狂ったのではありません)、それは時空を超えて出生前にさかのぼって(エピジェネティクス?)染み付いている心象の風景と重なり合うような感じがしたのです。その懐かしさの延長が言い知れぬ安堵感に繋がっているのではないかと考えたのです。この景色(風景)を“大和(やまと)の国の原風景“と命名しました。
(ここで演者は『ふるさと』の出だしの一小節「♪兎追いしかの山」を口ずさむ。その後通常の口調にもどり)「小鮒釣りしかの川」。みんなが知っている歌ですね。この歌を聴いて心に浮かび上がる景色は、日本人であればロッキー山麓の景色ではないでしょう。雑木林の中に小川のせせらぎが聞こえる、そんな風景をイメージしますよね。大和の国人くにびととしてこれは異論のない所だと思いますが・・・。
ロッキーの麓と奥入瀬の清流
で、中国の古典に僧肇そうじょうというお坊さんが書いた『肇論じょうろん』というのがあるのですが、その中に今でも生きている言葉で「天地我と同根 萬物我と一體」という言葉があります。
先ほどお見せした風景(スライドの田園風景)、それは心の深い所で出生前の心象と重なり合うと私がいった“大和の国の原風景”と、伝統医療とは、安堵感をキーワードにすると、両者は同根でつながるのではないかと考えるようになりました。
さて、1976年ことですから、だいぶ古い話になります。この年の中国は文化大革命最後の年でしたが、毛沢東主席はまだ存命でした。その年に、現代中国針法の研修のため神奈川県から上海中医学院(現上海中医薬大学)に派遣され約4ヶ月中国上海で暮らしたんですが、研修が進むほどにある感慨が湧き、その感慨がだんだん膨らんで大きくなっていきました。それは、中国医学を中国の人は祖国医学と言っていましたが、その祖国医学の中の針灸医学に対する国と民衆とが持つ認識(≒信頼度)に関する問題です。その感慨をうまく表現できませんが、かりに風景に譬えればこんなものになります。それは万里の長城が視野に溶け込む中にも人工構築物の底から槌の音の残響が今なお聞こえるグローバルな風景。そんな風景です。
その一方で、ならば現代の日本の鍼灸医学を風景に譬えればどうなるだろうと考えてみました。イメージできたのは、堂宇に導く竹林の小径から自然のささやきが聞こえてくる静粛なローカルな風景でした。中国に居てこんな対比的な風景が私の心頭のキャンパスに描かれたのです。
万里の長城と竹林に沿う小径の風景
が、しかしです。帰国して数々の臨床経験を通して考え付いた先は、たとえローカルな風景であってもそれは日本人の心の中にあって、時を超えた安らぎを与えるものである。繰り返しになりますけれども、“大和の国の原風景”と伝統医療は同根である。すなわち伝統医療は心身に安堵感を与える医療である。千年余にわたって人口に膾炙されてきた源はここにある、と確信するようになりました。
私は伝統医学、就中なかんずく、鍼灸医学をこのように捉えて臨床実践を続けています。
ここまでで、このセッションの前半のお話は終わりです。
続けて後半の話しに入ります。では、鍼灸医療は医療としてどのような価値、役割があるだろうかというお話です。
この麻雀のスライドは見た方はいらっしゃると思いますが、見たことがない方々もおられるようですのでざっとお話ししておきます。
生活習慣病発症の経緯を麻雀に譬える。スライド上段は聴牌てんぱい双六すごろくでいえばあと一振りで“上がり”の状態―で生活習慣病予備状態を現し、下段は “一萬もしくは四萬の牌(上がり牌)”を手中に納めたら和了ほうら―“上がり”でこのゲームは終了―する、すなわち生活習慣病の発症状態を現す
国は平成9年に成人病を生活習慣病という言葉に置き換えました。新しい言葉の理解と普及のために厚生省のその当時の政策課長さんが随所でお話になった内容を、私が絵に直してみたものです。要は健康と病気は二極対立的な考え方(従来の西洋医学的思考枠)から、健康と病気とは連続的な考え方(東洋医学的思考枠)への転換であり、その連続性の意味を未病の概念を導入することによって理解を深めてもらおうというものです。説明は麻雀を譬えとして、生活習慣病発症には予備状態がある。その予備状態を含めて発症までの時期を総じて未病と捉え、未病の時期に麻雀でいうなら“上がり牌”の素性をしっかり認識し、できるだけ手中に収めないように心掛けることが大切であり、できれば“上がり牌”を攫まずこのゲームを終わらせないことが望ましい(そんなつまらない麻雀は何人もやりたくないのだが・・)ということです。つまりこの“上がり牌”とは、喫煙・飲酒・運動不足・肥満・ストレス等々の生活習慣病発症の高リスクファクターそのものであることを、また未病はそのリスクを背負っている状態であることをしっかり認識する必要がある。したがって生活習慣病の予防は未病の期にこそ大切であり、公が行う対策とともに個人も悪い生活習慣の改善に意を尽くして欲しい、という内容なのです。
で、この説明では、未病は生活習慣病予備状態から生活習慣病発症に至る時間的経過の中での身心状況の代替表現のように見えます。ですが、我々がいう未病はそのように限定されるものではなくもっと広い意味、生活習慣病予備状態になる前も、生活習慣病を症発した後の人生終局に至る間も―ライフステージ全般にわたって拡散している―、最近のフレイルなどの概念はまさに未病そのものと捉え得るわけですから、僭越ながら、我々が持つ未病の概念をはっきりさせるためにその分をスライドに書き加えました(スライド上段と下段の未病)。
さて、ライフステージに未病という概念が定置されたからには、当然のことながら未病に対する対策も未病対策として位置づけられることになります。その現代医学的対策は従来から言われている予防医学が相当するのでしょう。スライド上段の未病には一次、中段の未病には二次、下段の未病には三次予防と言われるものです。でもなぜ一次、二次、三次に分ける必要があるのでしょうか。それは各時期によって対策の内容は異なるからです。このことを第一点とします。またなぜ予防医学と言って予防医療と言わないのでしょうか。それは対策の内容に公衆衛生的要素が多く、かつ対策の対象はもっぱら集団に置かれているため、個別性というニュアンスを持つ医療という言葉が相応しくないと考えるからでしょう。このことを第二点とします。―しかし、最近は予防の分野に医療という言葉が使われるようになりましたが、そのことは後でお話しします―。
結論を急ぎます。未病に対するに、いま申し上げた第一点に対しては個に対して普遍性と連続性を持ち、第二点に対しては個別性を第一義とする医療的対策が、予防医学と並行して行われてこそ現実的な未病対策の姿と言えるのではないでしょうか。言いたいことは、その姿を実現させるために、第一点と第二点とを共にカバーして予防医学と並行して行われる医療、私が言う“もう一つの医療”の存在が必要であり、その医療の担い手こそは伝統医療であるということです。伝統医療は現代医療を代替・補完するものではなく、現代医学的対策と並行する治未病医療であることを、再認知・再認識し実践することが必要だということです。そして“もう一つの医療”の筆頭に鍼灸医療があると私は考えています。
もう一言加えるならば、“もう一つの医療”は、未病のシェアを狭めて健常のシェアを広げるベクトルを持っている。すなわち、巷間が養生という文言に対して何となく持っている現状維持的なニュアンスを超え、個別的に健康状態をよりよく築いていくというベクトルを持っている。そのベクトルに積極的という形容を当てることこそが至当であると考え、治未病医療の核たるべき鍼灸医療の主機能である養生に、この言葉を冠して積極的養生医療と呼称し始めた根拠もそこにあるのです。
では伝統医療(鍼灸医療)が、治未病医療(養生医療)の担い手である意味を説明しましょう。
で、これも何回もお見せしたP.P.ですが、治未病医療の位置づけの理解に役立つと思いますので復習の意味もかねてお聞きください。
医療を構成する要素の変化
近世までは漢方・鍼灸は医療界のメインでした。近世の終わりになると、蘭方がはいってくる。が、まだ治療的要素も養生的要素も漢方・鍼灸に託されたいわゆる通常医療であり、これに対し蘭方は外科的治療的要素が主のいわゆる代替医療であった。この構図が近代から現代にかけて機能的に外化が行われた結果、治療的要素がもっぱらの蘭方と漢方・鍼灸との座が入れ替わる図式に変わります。がしかしです。(スライドを見てお判りのように)本来的に蘭方→現代医療は養生的要素は持ち合わせていません。一方漢方・鍼灸は治療的要素は蘭方に譲ったとしても、現代に至るまで養生的要素は従来からの姿(質・内容とも)を変えることなく継承されてきているのです。
言い換えれば、治未病医療に該当する養生医療は今日時点においても“もうひとつの医療”として漢方鍼灸に託されているのです。ここのところの認識が伝統医学実践者に希薄になっているように思えてなりません。再認識を強く促すものです。
その3へ続く

「鍼灸の風景」その1 (2015)

<出典情報>
初出 鍼灸師育成シンポジゥムにおける基調講演(2015年5月6日,成城ホール)

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「鍼灸の風景」その1

講演を始める丹澤章八氏
今年は桜が一挙に開花しました。成城の駅から北へ真っ直ぐに伸びる道は両側に桜の古木が並んでいて満開になるとなかなか綺麗な桜並木になります。
今年は桜とほぼ同時に桃が咲き、我が家の庭ではクリスマスローズが、そしてスズランも満開になり、たてつづけに春到来を告げる花の開花が、なんと時のたつ速さを一段とつよく感じさせるではありませんか。私も時の速さにつられて今年で86歳、四捨五入をすると90才になってしまいました・・・。ここで笑っていただけると後の話の運びが非常に楽になるのですが・・。(会場に遠慮ぎみのささやかな笑い)
考えてみますと、4/5世紀以上生きていることになります。まあ、よく生きているもんだなーと我ながら感心しているんですが、この歳になるまでに、3つの癌という同居人に相応の立ち退き料を払って出てってもらい、いまは大変せいせいしています。がさて、これからどのくらい生きるのかなーってな事を人並みに考えながら、スパゲッティ―人間だけにはなりたくないと、外出時には携帯は忘れても、尊厳死協会会員証だけは忘れずにポケットにいれています。
前置きはこのくらいにして、本題の話を始めさせて頂きます、例によってパワーポイントの紙芝居を堪能して頂ければ幸いです。
実はこのシンポジゥムが企画されたのは昨年の夏でした。企画立案の首謀者の瀬尾先生から話があったんですが、「もう話すネタはないから、勘弁してよ!」と言ったのですが、「落語は同じネタを何回もやってるじゃないですか」って言われたので、じゃあ落語ってわけにもいかないけど、同じネタで良いならば、という事でお受けした経緯があります。ですからここにおいでの半数位の方は、その話は聞いているよという方がいらっしゃると思うのですね。その方々にはどうぞご勘弁を願って・・。ただ聞いた覚えがある、と思っている方は大変頭脳明晰な方でして、多分認知症になられる確率が高い方なんですね。聞いたかどうかも忘れちゃったという人は認知症にはなりにくい。そのまま変化しない方ですから・・。(笑) 
では、始めさせて頂きます。
今日はですね、まず「風景論から鍼灸を考える」、次に「治未病論・もう一つの医療論」という事をお話して、最後に「恕の臨床」の話しをさせていただこうと思っていまです。
風景論から鍼灸を考える
(刷毛でペンキをぬると文字が浮き上がってくるアニメーション)
ですが、昔の話をさせて頂かないと後の話につながらないので、しばらくお時間をいただき、お付き合いを願いたいと思います。
それはどういう話かと言いますと、さかのぼってそれこそ40年前のことになりますが、私がはじめてリハビリテーション医療に鍼灸を導入したのですが、その結果はどうだったかという事の顛末についてのことです。
入院患者さん(七沢リハビリテーション病院)の中で、鍼灸治療をしている患者さんと、していない患者さんとを見比べてみました。鍼灸治療を希望する患者さんの目的には、鍼灸で動かない手が動くようになるとか、歩けないのが歩けるようになるとか、要は運動麻痺が改善できないものだろうかという切実な想いが籠められています。しかし、発症から治療開始までの時間経過(患者さんの多くは発症から入院まで3か月以上は経過していた)にも問題はあったのでしょうが、残念ながら、鍼灸治療対象患者さんに目立った麻痺の改善、つまり、リハビリテーションでいうところの機能障碍の改善につながる効果は認められませんでした。
ところが視点を変えて、鍼灸治療をしている患者さんたちは、していない患者さんたちと比べてみると、体調が非常に整ってきた、つまり快便、快眠、食欲増進というような体調が整ってリハビリテーション訓練が進む。その結果、リハビリテーションゴールがレベルアップする患者さんが目立って多く出ているという事実を発見したのです。
リハビリテーションゴールのレベルアップとはどういう事かと言いますと、例えば、入院されてきた当時の身体機能評価の結果では、この患者さんの麻痺の重さから考えると、所定の訓練を行った結果でも到達できるレベルは、自力歩行はちょっと無理で、ご自分で車いすを操作して移動できるレベルというゴール(≒目標)が設定され、そのゴールに向かって運動療法やら作業療法を組み立てて訓練が行われてゆくとします。ところが訓練が進むにつれて意外に成果が上がって、車椅子を使わなくても杖を使って自力歩行(杖独歩)で移動ができるレベルに達した、つまり、初期設定のゴールを超えた状態になったとします。ゴールがレベルアップしたとはこの状態をいいます。鍼灸治療を受けている患者さんの中に、このレベルアップした方が目立って多かったというわけですね。
言い換えますと、このことはその患者さんのADL(日常生活動作)が向上したことであり、リハビリテーションでいう所の、健側を含めた能力障碍が改善したことになるわけです。
片麻痺のリハに鍼灸を導入した結果と、その意味するもの
で、これを具体的に移動動作で説明しますと、他人の手や車いすの助けを借りず自力で自分が行きたい所へ歩いで行けるように回復したということであり、つまりは自由意思の及ぶ範囲、すなわち自由行動圏の拡大であって、健常人では想像が及ばない障碍を持った方の感激がそこにはあるのです。畢竟ひっきょうするにこの成果はQOLの向上につながることになります。ではこの間の鍼灸治療の介入はどのような意味があったのか。意味するものは、患者さんの持っている本来的な自然治癒力と生体の恒常性の賦活、そしてその増強効果に医療的有意性があった、ということだと確信しています。また、後から申し上げますが、この医療的効果を私は積極的養生医療と名付けました。これは今日のお話を組み立てている間に考えついた新しい言葉でして、今まで言ってきた養生医療だけではなく、その上に積極的という文言を冠しても良いのではないか、それだけの医療的価値・有意性があるのではないかという確信からでた言葉です。
で、その確信を裏付ける根拠としてスモンの患者さんに、鍼灸治療を行った結果も加えてお話ししておきます。
厚生省(現厚生労働省)に難病治療研究班という研究班が設置されていまして、その中でスモン研究班は当時は一番大きい研究班で、研究費は一億円を超えておりました。研究班の中に東洋医学部門があり、私はかれこれ十年近くその部門に関らせて頂きました。スモンというのはご存知の通り薬害疾患です。発症は突発的で、視力の低下または喪失、肢体、特に下肢の運動麻痺と異常感覚が主症状です。麻痺も重度ながら、加えて下肢の強烈な冷感と痛み、その冷感は冷凍庫に足を突っ込んでいるような冷たさ、その痛さは針千本が刺さっている痛さ、と患者さんが表現するほどの激烈なものです。この症状の緩和のための適当な治療法が見つからない中で、一部ではありましたが唯一効果があった、患者さんから多少とも楽になったと評価されたのが、鍼灸特に鍼治療であった事が契機となって研究班の中に東洋医学部門が出来たわけです。
その臨床研究の中で、3年目ごとに患者さんに治療効果に関するアンケートを取っていたのですが、ある年次の結果の平均QOLスコアをレーダーグラムに写し替えたものをお見せしましょう。発症前は健常者のパターンとほぼ同じパターンが見えますが、スモンの発症による最悪期を思い出して記入してもらったスコアを結ぶパターンは、極端に縮まった形になっていますね。QOLが大きく低下・毀損されていることがうかがえます。じゃあ、現在はどうだろう。このアンケートを取った時点のスコアを結ぶパターンは、健常時のものにははるかに及ばないまでも、少なくとも最悪期より格段とQOLが向上していると解釈できるものでした。
それじゃあ、いま現在の時点で、あなたの将来、漠然と将来といえば、人によっては明日を将来と考える人、1か月先を、あるいは1年先を、5年先を将来と考える個々別々ではあっても、少なくとも現時点に立って、将来のあなたのQOLはどうであろうかと思いますか、という質問をアンケートに加えてみました。その結果の将来のQOLパターンは現在のQOLパターンと非常に良く似て重なり合うものでした(スライドの赤線)。
鍼治療を継続しているスモン患者のQOLの推移
私は、この将来のQOLパターンは、まさしく現在のQOLを土台としてイメージされていることを物語っているものだと受け取りました。要するに、独断的・我田引水的であることを承知の上で申しますが、QOLについて最悪期に比べるとその向上が見られる背景には鍼治療の効果がうかがえるのではないかということです。と、もう一つ大切なことは、先ほども言いましたように、将来のQOLは現在のQOLが下地となって描かれていると読み取れることなんです。現在のQOLは現在の身心状態の反映とも言えます。ここで何が言いたいかと言いますと、すなわち、現在の身心状態を維持するために何らかの医療が関与しているとすれば、その医療はその方の将来のQOLを左右する鍵を握っていると言えませんか、ということです。このことに導かれるようにして私に、「今日、ただいまの臨床がその患者さんの将来のQOLを支配する」という言葉を作り出させました。そしてこのことを手短に「思想を持った臨床の実践」という言葉に置き換えて前世紀後半から臨床の心構えとして提唱し続けてきました。
それでは、スモン患者さんが訴える具体的な症状の改善に鍼治療がどの程度効果があったのかと言いますと、アンケートの集計結果では、主症状である激烈な下腿のつっぱり感、針で刺されるような痛さ、極度の冷感に対しては、せいぜい20%程度の軽減効果にとどまるものでした。でもほかに有効な治療法がありませんでしたので、一度鍼治療を受けられた患者さんの大部分は継続受療者になっていました。申し遅れましたがこのアンケート調査の対象はその継続受療者の方々です。
さて、一通り集計作業を終えてからアンケート用紙の自由意見記載欄に眼を移し、用紙をめくりめくりながら追っていった時のことでした。書き出しの冒頭に、二枚、三枚、五枚、十枚と約半数に及ぶ方々が、まるで申し合わせたように同じ文言で書き始められているではありませんか。目は釘付けになりました。びっくりしました。衝撃的でした。
その文言とは、鍼で『身体が軽くなった』というたった七文字の短いフレーズです(スライドの赤字)。私は、この短いフレーズに、継続受療している患者さんの鍼治療に対する期待と評価の万感が籠められている、裏を返せば鍼灸の医療的価値の真面目の表現がそこにあると観て取ったのです。
私個人の臨床(西洋医学)で、何かの処置後に「おっ!体が軽くなりました」とおっしゃった患者さんに遭遇した経験はまずないのですね。片麻痺の患者の体調が整った。スモンの患者さんは身体が軽くなったという。一体これはどういう事だ。真剣に考えてみました。
自覚症状の軽減効果と自由意見欄の内容
虫歯の痛みは誰しも経験したことがあるでしょう。たかが一本の歯で、と思うものの、痛みのために全意識がその一本の虫歯に集中して、思考も行動も、横断歩道の赤信号に出会ったように止まってしまいますね。でもその痛みが治まったとき、何か体中のしこりがさらっと溶けて、集中していた意識も霧散し、身体の部位感覚も一瞬消えて透明になった感じ。そんな感じ。その感じが「身体が軽くなった」という形容と相通ずるのではないかと思い至りました。
学生時代、内科の教授が「健常では内臓の存在感は感じないが、存在感を感じたらその臓器に何かしらの異常がある。例えば胃がここにあるようだと感じたら、胃に何かしらの不全・病変が起こっていると考えよ。こんなことは教科書には書かれていない」と教えてくれたことを思い出しました。そう、痛みも凝りもしびれも、便秘にしても要は存在感に通じます。 鍼灸医療の介入によって、こういった存在感が軽くなる、薄れる、時には消える。要は病患が薄れホットするという事ですね。そこで覆っていた雲が晴れて晴天の気持ちになり本来持っている活力が復活する。そんな生体環境を作り出す力が鍼灸にはあるんだと、改めてその医療的価値を確認したのです。で、自己流の解釈ですけども、この生体環境は「人に身心丸ごとの安堵感を与える」ものだと私は考えました。
この安堵感をもって、鍼灸医療を、生体環境の支持と、Comfortの医療。現代医療のキュアー中心の医療とはジャンルを異にするケアの医療であることの認識付けを、前世紀末からずーっと行ってきました。その中で久しくケアの医療は養生医療と同義であると説明してきまた。が、刻々と変化する生体環境を維持するための医療には、生体の活力を高める効果が求められるわけですね。ここまでお話してきた内容を振り返ってみてください。改めて念を押すまでもありませんが、鍼灸医療にははっきりとその医療的機能を持っていることがわかります。まさに積極的養生医療と言えます。いまここにケアの医療を超して積極的養生医療と唱えた理由はそこにあるのです。
さて、前段の話はここで終わりますが、積極的養生療法と安堵感は、この後に続く話のキーワードになりますから頭の中に置いておいて下さい。
その2へ続く

未病のちえ (2005)

<出典情報>
初出 「日本赤十字看護大学公開講座」での講演「老いて元気―未病のちえとわざ」(於:日本赤十字看護大学、2005年9月2日)
※文章は日本赤十字看護大学が発行した小冊子『老いて元気―未病のちえとわざ』に掲載
再掲 丹澤章八著、宮川浩也編『鍼灸の風景 ~丹澤章八先生 講演・随筆集~』(丹塾、2014年)

未病のちえ

三才
丹澤章八
三才
1998年
彫塑
本公開講座のテーマは「未病のちえとわざ―老いて元気―」です。
私はお陰さまで、あと数か月(二〇〇六年・平成十八年)で喜寿を迎えますが、「老いて元気」という言葉通り私は元気です。日本では七十四歳までは前期高齢者、七十五歳からは後期高齢者と呼んでいます。私はすでに後者に入っておりますが、“老いて元気”のサンプルの一人ではないかと思っております。
さて、世の中には全く健康な方と病気持ちの方とがいらっしゃいます。その二者の間には、大きなスペースがあります。このスペースにはどういう方がいらっしゃるかと言いますと、いわゆる健康に見える人、つまり、病気や障害をもたれていても世間とつながりをもち、自立した生活を営んでおられる方々(普通人)がたくさんいらっしゃいます。
私の専門は東洋医学ですが、同時に脳卒中の患者さんのリハビリテーションの専門医でもあります。私の周りには“たんざわ会”という患者さんの会がありまして、かれこれ二十年続いています。皆さん大変お元気で、卓球や写真クラブなどいろいろな活動をされており、その様子を見ておりますと到底私には追いつけないと思うほど活発です。でも、その方々は片麻痺などの障害のある方たちですが普通人として暮していらっしゃいます。世の中とは、老若男女、健常者、病者、障害者が共に尊重しあい共生している人間世界です。
この世界の実現を目指すのがリハビリテーションの理念であり、これをノーマライゼーション(normalization)「等しく生きる社会の実現」といいます。熟年層の普通人をみてみましょう。からだの中に、元気とそうでないものとが等しく存在しながら生命を営んでいる姿と見えます。そしてその姿を喩えるなら、普通人の心身のありようはまさに、今お話したノーマライゼーションそのものではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

未病とは

人間には、健常状態を保つために恒常性と呼ばれる機能が備わっています。この機能が程よく働いていると、健常な状態を維持する一方で、もし異常な状態が起こってもそれ以上悪くしないように状態を保つことができるのです。これが「普通人」の状態で、“病とともに生きる健康”という熟年の身体状況ではないかと思います。そしてこの状態が、今日お話しする“未病”という言葉におきかえられると思います。
英語には“未病”に相当する言葉はありません。“津波(tsunami)”という日本語は完全に国際語になっています。“未病”についても日本から発信し言葉も概念も広く海外に知らせたいと思っています。
“未病”という言葉は、『平成九年版厚生白書」(一九九七)で使われました(第一篇・第一部「健康」と「生活の質」の向上をめざして、第二章生活習慣病、第二節「生活習慣病」の考え方)。この白書が出た年に成人病が“生活習慣病”と呼ばれるようになり、生活習慣病の発症を理解してもらうために「未病の概念について」というコラムが設けられました。つまり、それまで成人病と呼ばれていた病気は、悪い生活習慣が積もり積もった結果であるということを啓蒙しはじめましたが、啓蒙の主旨を理解してもらうためには、健康と病気とは対立したものではなく連続的であることを知ってもらう必要がありました。その連続性を理解してもらうためには“未病”という概念が最も当を得ていたからです。
そもそも“未病”という言葉は、『黄帝内経』(中国最古の医学書)に発します。道理に明るい人(医師)は病気になってしまってから治療方法を講ずるのではなく、病気にならないように、つまり“未病”のところの手当てを怠たらないと。また、鍼灸の古典の『難経なんぎょう』には、情報をたくさん知った医師は未病を治すと、書かれています。要するに対症療法だけではなく、次に発展する可能性のある病態が何かをいち早く推測して、その対策を兼ねた広い範囲で治療をする、ということです。“未病”は、健康と病気との連続性の中にあって未だ病まざる状態という意味だということがお分かりいただけたと思います。

生活習慣病と未病

図1

図1

以前、私が学会長をしていた全日本鍼灸学会の学術大会で、西洋医学と東洋医学それぞれの立場で“未病”に取り組んでいる方をお呼びし、“未病”に関する対話をしたことがあります(第五十回全日本鍼灸学会学術大会、二〇〇一年)。
まず、論者に“未病”についてどのように考えておられるかをお尋ねしたのですが、考えておられる状態や範囲は西も東も似かよったものでした。“未病”については公に定義づけられているわけではありませんが、私の見解を申し上げますと、まわりくどい言い方ですが「結果的に病気に結びつく関わりがあるものすべて、そのものとは状況より相(phase)で捉えるほうが妥当」ということになります。この表現は図を見ていただくと納得していただけると思います。(図1参照)
未だ病まないという考え方は、西洋医学の二元論的では解釈できません。東洋医学の連続性をもった考えでないと“未病”の状態も生活習慣病も理解できません。
図でもう少し説明を加えましょう。西洋医学的な考え方は、検査正常値を基準に置き、基準をクリアしている人を健康とします。東洋医学には検査正常値の概念はなく、それにかわって一番底辺に“気”のラインがあります。したがって、そのラインの上にあるものはすべての生命現象ということになります。その生命現象は元気と病気とを連続性に捉えたもので、その状態を“相”が重なった状態と捉えるのが私の考え方です。
図として描いて見れば“未病”は自分の体のなかに“相”としてあるというのが私の考え方です。ですからこの“相”に対する対策、すなわち“未病対策”が必要であることは、おのずからお分かりいただけると思います。
ゲノムの解析が進みまして、遺伝子が絡む病気は明らかになりつつあります。その解析に応じた医療(オーダーメイド治療)が可能になりつつありますが、私は、このレベルの医療を“細胞大のオーダーメイド医療”と名付け、“等身大のオーダーメイド医療”と区別しています。
等身大のオーダーメイド医療とは、人間丸ごとを対象とし、しかも個を大切にするケアの医療であり、その核心は養生医療だと思います。二十一世紀の医療は、細胞大のオーダーメイド医療は先端医学が分担し、等身大のオーダーメイド医療はプライマリーケア、看護、伝統医療が分担し、両者が一体となり統合された姿が望まれます。この統合された医療が供給されてこそ、生涯現役社会の実現ができるのではないかと思います。

“気”について

図2

図2

東洋医学では“気”という言葉が盛んに使われます。その語源をまず説明しましょう。
荘子(二千数百年前の中国の哲学者)の言葉に、「人の生は気のあつまれるなり、聚まればすなわち生となり、散ずればすなわち死となる」という言葉があります。“気”と生・死は密接な関係があると説きます。 われわれが日常で使う“気”に関する言葉をひろってみますと、大気(宇宙を含む)、雰囲気、環境、魂、生死、性格、気持ちなど、いろいろなところで使われ、さらに、医学用語としても生命力と活動、呼吸などの用語にも多く使われています。そして用語の間には深い関連性があり、“気”は生活の場を象徴するキイワードと言えそうです。
荘子の言葉によると、“気”がなくなることは死を意味し、“気”があることは生命活動があるということになります。
話は変わりますが、佐藤勝彦先生(東京大学大学院理学系研究科教授)のインフレーション理論(一九八一年)によると、宇宙の創成は無から始まったといいます。無とは何でしょうか。先生に言わせると、無とは物理的には消すことができない“ゆらぎ”なのだそうです。では“ゆらぎ”とは何でしょうか。“ゆらぎ”をイメージしたときに浮かんできたのは象形文字としての“気”の原型である“ゆらぎ”を意味する“气”でした。無は“气”に通ずることを考えますと、宇宙の生も人の生も共通のキイワードとして“气”があることに気づきました。古くから東洋医学では人体は小宇宙と言われているわけが理解できます。(図2参照)
図1をもう一度見てください。
西洋医学的な考えでは、検査正常値をクリアしているものは良い、クリアしていないものは悪いと解釈されます。悪いという概念は、否定する考えかたです。したがって西洋医学はなんとか病気を取り除こうとしますが、東洋医学は対極的な考えではありませんから、いかなる病態でも生命現象としては肯定的に考えます(生きているから病気になるのであって、死んだら病気にならない)。
ですから治療に対する考え方も違ってきます。否定の考え方である西洋医学は病原を取り除く治療が主体ですが、肯定の考え方にたつ東洋医学は生命活動を援助する治療が主体となり、両者の治療の方向性が違うことがお分かりいただけることと思います。いいかえれば西洋医学はキュア(cure)の医療、東洋医学はケア(care)の医療と言えます。ケアとはおおづかみに言えば養生のことであり、医療としての養生は連綿として伝統医学に受け継がれています。
有名な貝原益軒の『養生訓』に、「養生の道は、病なき時につつしむにあり」として未病期(病なき時)の重要性を指摘し、「養生の術はつとむべき事をよくつとめて身をうごかし気をめぐらすをよしとす」として“気”をめぐらすのが養生実践のコツと説いています。
“気”をめぐらすとは、体の中に備わっている恒常性を保とうとする機能をよく働かせることです。
生かされていることに限りなく感謝し、怠けずにほがらかに生活する。そんな生活自体が養生の根本であることに気づき、伝統医療はその養生を援助する医療であることを知る。
“未病”と向き合い、老いてますます元気に暮らせるちえとわざとは、こんな身近なところにころがっているんだと言えそうです。

Q&A

Q 臓器には胚幹細胞があり、死んだと思われた臓器も生き返らせる可能性があると聞きました。特に代替医療の治療者がそういわれるようですが、先生のご意見はいかがでしょうか。
A 胚幹細胞にはかなりの再生能力があるということについてはおっしゃる通りだと思います。治療方法のメカニズム解明のためにいろいろな研究がされていますが、たとえば鍼灸では、刺激が脳でどう受けとめられるかという研究がすすんでおり、ある方法によると、脳内で記憶を司る海馬の血流が増える―血流が増えたことで即、活動が盛んになったとは必ずしも意味づけできないのですが―というデータが出ています。また、漢方薬にも細胞復活の効果があるかもしれません。東洋医学は人口に膾炙され、歴史を保ってきた背景があり、細胞の再生能力については肯定的です。
Q 私は太極拳、気功、錬功十八法(いずれも気の鍛錬法)をしていますが、これらでは呼吸を大切にするように思います。血のめぐりと呼吸にはどのような関連があると思われますか。
A 実際にわれわれが意識できる“気”は呼吸です。すべての心身の修練、修養の道は呼吸法からはじまります。自分の“気”を確かめる方法として、太極拳などの錬法があると思います。近代人の胸式呼吸は悪い“気”が溜まってしまいがちです。拳法における呼吸こそ大切なことだと思います。

生きることの易しさと難しさ (2000)

<出典情報>
初出 「たんざわ会 十周年記念式」(2000年)における講演の記録
※「たんざわ会」とは、社会福祉法人神奈川県総合リハビリテーション事業団七沢老人リハビリテーション病院に、丹澤先生が勤務していた時、先生が受け持っていた同病院七病棟の入院患者さんの有志によって、1981年(昭和56年)に結成された患者友の会である。1990年(平成2年)、任意障害者団体として横浜市に登録された。
再掲 丹澤章八著、宮川浩也編『鍼灸の風景 ~丹澤章八先生 講演・随筆集~』(丹塾、2014年)

生きることの易しさと難しさ

神将
丹澤章八
神将
1976年
彫塑
「十年一昔」と言いますが、これから先の十年を考えますとはるか先のように感じますが、過ぎ去った月日はまさに「光陰矢の如し」と言われるとおり、あっと言う間に通りすぎ、十年前のことがまるで昨日のように思われるのは私ばかりではないと思います。
丹沢会という会が、七沢病院の退院患者さん方の発意で設立されたのは昭和五十六年(一九八一)です。ですから、会の実際の年齢は今年で満十七歳ということになるのですが、この会が障害者の任意団体として正式に行政に登録認知されてから今年は十年目に当たるというので、早くから記念式の開催を企画され、役員の方々が打ち合わせを重ね、準備よろしく今日を迎えられたと伺っております。ともかく、世間(行政)の戸籍に登録されてから十周年を迎えたことを心からお祝いを申し上げますとともに、会を支え、もり立ててこられた会員の皆さまの、この会に注ぐ愛とご努力に、心から敬意を捧げるものです。
その間、先程は、矢のように過ぎ去ったと申しましたものの、三名の会員の方(岡崎さん、真山さん、加藤さん)が昇天されるという、この時ばかりは時計の針を戻したくなるような悲しい出来事もございました。この席をお借りして改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
さて、本日のお話はなんとなく難しく聞こえる題になってしまいました。できれば私の方が聞き手にまわって聞きたいような演題です。新堀会長に促されて咄嵯にこの演題を申し上げてから、さてどんなお話をすればよかろうかとよりより考えておりましたところ、たまたま目下『たんざわ会十周年記念誌』の発刊の仕事を仰せ付かって編集を進めている最中なのですが、編集作業のかたわら、過去十七年の間に丹沢会会報に寄稿した私のエッセイを読み返す機会がありまして、あらためてその内容を読んでみますと、その殆どが今日お示しした演題に関連したものであったことを発見しました。自分でも不思議な感じがするのですが、考えてみますと、筆を執るたびに、生きる勇気と生きている意義とを、私なりに一心に皆さんに語りかけたい心がそうさせたと思っています。
ですから今日は、会報に載せていただいた私のエッセイの軌跡を辿ることで、話の筋道を立たせてさせていただくことをお許し願っておきます。
さて、まず、お話のでだし(序章)は昭和二十六年に発刊された会報第一集のこんな文章で始まります。短い文章ですので読ませていただきます。それは「秋の色」という題のエッセイでした。
「寒気が足早に近づいたせいか、今年の七沢の山々は例年になく色づいて、透明な秋の空気のなかで、落葉樹の一本一本がそのあでやかな衣装を競い合っています。
道元禅師の書かれた『正法眼蔵』に有時うじという巻があります。
時の流れを構成する要素としての一瞬の持つ意義とその尊さを有時という言葉をもって説かれたもので、「いままさにその時がある」とでも解釈するのでしょうか。
その年の秋の色、それは大自然が示す精一杯の有時の姿に他なりません。
人は大自然の中で、自然とともに生かされていることを自覚したとき、始めて有時の尊さを知るものです。
いまこの時、あるがままに、しかも力一杯、人間を尽くす。秋の色は私にこんなことを問い掛けてくれる大切な色なのです。」
実は、私は三十一歳から四十四歳までの十三年間、父の命令で医者を休業して実業界に身を置いていました。その間の出来事ですが、どうしても許せないある背信行為に出会い、精神的に大変な危機に見舞われたことがあります。救いを求める気持ちで禅の門を叩き、五年間参禅しました。この時、座禅の傍ら『正法眼蔵』の講義を聞き、その中の「有時」の巻を読んで、この世の中の一瞬が持つ尊さの一端を知ることができました。
平生の私どもの生き様は、一瞬一瞬の生き様の連続のように見えます。がしかし、一瞬は過去にも未来にも影響されない、前と後ろとが裁断されたただ一瞬そのものである。ですからその一瞬をただひたすらに生きることが大切であることを説かれたものと思います。
難しく考えれば考えるほど、滅法難しくなるのでしょうが、私はこう考えます。
それは、我々普通人は、ただ、いま、ここにいるということに限りない感謝の気持ちを持つことが一瞬を精一杯生きることであり、真にその気持ちが芽生えれば一瞬の中に永遠の命を観ることができるのだ、ということではないかと思うのです。
ですけれども、聖職者ではない我々普通人は、一瞬にこだわって感謝を意識しつづけていては、肩がこってしまいます。我々は何かの折りに、ふっと自分自身の存在に気がつく時、ふっと生きていることの不思議さを感ずる時、振り返って、あの瞬間は思い煩いのない無垢な自分の姿があったことに気が付けば、それが一瞬の命の尊さを知ることではないかと思うのです。
私にとっての何かの折りとは、四季こもごもに美しさを織りなす自然であります。
ところで、七沢に入院された経験をお持ちの皆さんにお尋ねします。入院される時に車の窓から見えた七沢の景色は、どんな風に見えたでしょうか。見る余裕がなかった方は別として、見えた方は、それはあたかも映画館にいて、スクリーンの上を足早に過ぎていく景色、ごくありきたりの景色、と感じた方が大部分であったのではないかと思います。では、退院される時はどうだったでしょう。多分うれしさと、明日からの自立生活に対する不安とが心を占拠し、辺りの景色に気を取られる余裕はなかったのではないでしょうか。
丹沢会の発会当初は、私がまだ七沢病院に在職していたこともあって、会合は主に病院で開かれていました。会を重ねるごとに先輩会員の方々の物腰には自信が見え始め、後輩の会員を激励する光景が見られるようになりました。
その頃です。だれ言うとなく
「会は秋がいい、七沢の秋はきれいだからね~」
その時、きっと会員それぞれの方が、七沢の秋の美しい自然に自分の姿を重ね合わせた光景をごく自然に心の中に描かれていたことと思います。それは命の美しさと尊さとを、無意識のうちに感じ取った証といえます。どうしてかといいますと、自分を自然の中において、自然の色に溶け込ますことができたということは、とりもなおさず自然は自分の外にあるものではなく、自然と自分とは一体であること、自然と通じあっていること、自然の一員であることを感じたことで、理屈抜きで自然とともに生かされていることを実感していることにほかならないからです。そしてその時、人間が本物の人間になるのです。
第一集にはまずそのメッセージを書きました。
そして丹沢会の会合は秋に開かれることが多くなりました。
丹沢会には思い出深いことが沢山ありますがその一つ。忘れかけていた命の尊さを呼び覚まさせてくれたことがあります。そのことを会報十五号に「新会長からの電話」という題のエッセイとして書きました。
平成八年の研修旅行は修禅寺でした。平成二年の研修旅行も修禅寺でした。平成二年は新しい丹沢会が発会した年です。そしてこの年の研修旅行は、私にとっては、これまで持病の治療のための手術を七回受けていますが、その第一回目の手術の直前のことでした。
内容は、修禅寺の駅前のおそば屋さんでの出来事、駅から狩野荘に向かう道すがらの風景、講演を終えて迎えのタクシーが来るまでロビーで向かい合って座っていた新堀さんと井上さんの表情、その一つ一つの情景を追想したものです。
そしてこのエッセイはこんな言葉で締めくくっています。
「思うとこの日の光景の一つ一つは、計りしれぬ力の持ち主から、私が一つ一つの情景の中に立たされて、その情景が持つ意味をどのように解釈するか、私の人間としての感性をそっと試されていたような気がしてなりません。六年後に気付いた答えは、それは生きることの勇気と感謝とを教えてくれる、一幅の絵巻物だったのではなかろうかということです。その時に答えられなかった未熟さを恥ずかしいと思いながらも、でも今は気が付いたという安堵があります。考えてみればこのような情景は日々の連続の中にいくらでもあることです。人は人を助け、導きながら共に生かされている光景として。新会長からの電話は、忘れがちな生きる尊さを思いださせてくれるきっかけを作ってくれました。感謝しています。」
ところで、生きるということをとことん突き詰めて考えますと、漠然とですがそれは並大抵の努力ではないことを感じます。
平成八年の研修旅行の時に、「いい加減に生きる」というお話をしました。五木寛之氏の『こころ・と・からだ』というエッセイ集の中にある“いい加減”という話を題材にしたものでした。氏は最近『大河の一滴』というエッセイ集を出されて、たちまちベストセラーになっています。その中に大変興味深く、氏がびっくりしたというお話があります。かい摘んでご紹介しましょう。それはアメリカの有名な生物学者の方がやったある実験の話です。
三十センチ四方の木箱に砂を入れて一本のライ麦を植えます。水をやりながら数ヶ月育てますと、なよなよとした大変貧弱ではあるけれども苗は育ちます。そこで箱を壊してライ麦の苗の根っ子の長さを丹念に測ります。根毛といわれる目に見えない根は顕微鏡で細かく調べ、計測した根の長さを全部足していきます。そうして計算されて出た根の長さの総延長は、なんと一万一千二百キロメートルに達したというのです。五木氏はその数字を見て最初は印刷の誤り(誤植)と思ったそうです。その数字はシベリヤ鉄道の一・五倍位になるそうですから。そして、「一本の麦が数ヶ月、自分の命をかろうじてささえる。そのためびっしりと木箱の砂の中に一万一千二百キロメートルの根を細かく張りめぐらし、そこから日々、水とかカリ分とか窒素とかリン酸その他の養分を休みなく努力して吸いあげながら、それによってようやく一本の貧弱なライ麦の苗がそこに命をながらえる。命を支えるというのは、じつにそのような大変な営みなのです」と書いています。そして、「私たちも同じように生きていくために、さまざまなものを必要とする」。
太陽も、空気も、水も熱も食物もみんな必要だが、人間は精神的存在であるから愛も友情も、家族のお互いの連帯感も必要だと言います。
「生きるために私たちが、目に見えないところで、どれほどの大きな努力にささえられているか。自分の命がどれほどがんばって自分を支えているか」。しかし人間には決められた寿命がある。つまり「先は見えているにもかかわらず、ぼくたちはそれに絶望せずに生きてゆくそのことを考えると、生きている、というだけでも、どれほど大切な大きなことを人間はやり遂げているか、と考えざるを得ない」といっています。さらに、「人間は一生、なにもせずに、ぼんやり生きただけでも、ぼんやり生きたと見えるだけでもじつは大変な闘いをしながら生き続けてきたのだ」、と五木氏は考えます。
そして、この世に生を受けたものはだれでも、ある種の役割があって、存在しているのではないか、ともいっています。
私はこのある種の役割というところに大いにこだわりたいのです。
ライ麦の話でもわかるように、命を支えるための根っ子は大切です。人間はその根っ子が絡み合う人と人とのつながりが特に大切です。そしてそのつながりは、人それぞれが持っている役割があるからこそ成り立っていると思うのです。ではその役割とは何でしょうか。別に難しいことではありません。生かされているという存在そのものが、その人に与えられた役割なのです。といわれてもピンとこないかもしれません。
でも、皆さん自身のことを考えて下されば、ことは簡単です。現に皆さんは障害にめげず、むしろ障害を人生の糧として「なにくそっ!」という根性でたくましく生き抜いておられる、そのことこそが立派に役割を果たしている何よりの証拠なのです。この役割については皆さんはあまり意識していないかもしれません。しかし皆さんが果たされている役割は、皆さんが想像されるよりはるかに大きいものがあります。その役割の一端は人と人とのつながりの中に見られます。
皆さんは七沢病院やその他の病院でリハビリテーションを受けられ、日常生活の自立を獲得されました。社会復帰には医師や看護婦、PT、OT、ST、ケースワーカーなどの皆の力の結集もあったかもしれませんが、しかし回復に導いた最も大きな力は、私は病院生活における患者さん同士の支え合いであると思っています。
このことは患者さん自身は殆ど意識されていません。病人の本当の気持ち、悩みは、病人にしかわかりません。どんなに努力しても周りのリハビリテーション・スタッフに分るものではありません。残念ながら家族についても同様です。しかし悩めるものは、傍らに悩めるものがいれば語らずとも気持ちは通じ、分りあい、多くは心の中で純真にお互いの再起を願うものです。その気持ちがいわば心の力(心力)となってお互いに影響しあっている。これは無意識に行われているために殆どの人は気付いていません。でも必ずこのような現象は起こっている。その心の力を結集した空気がリハビリテーション病院にはある。私はその空気こそが皆さんの回復を扶けた最も大きな力だと思っています。そしてその空気は皆さんがそこにいたことによってこそ作られたということを知れば、皆さんの役割とは一体何なんだろうというお答えを、あえて申し上げなくても、もはや自明のことと思います。自分の腕を過信し“俺が治したんだ”と、うぬぼれるスタッフに、このことを話して釘を刺したことがあります。ところで、今の皆さんは、狭い病院ではなく、広い社会にいて、それぞれの役割を果たしていることを決して忘れないでいただきたいと思います。
先程のライ麦の話に戻りますが、三十センチ四方の箱にライ麦の苗を二本植えたら、お互いが養分をとりあうのではなく、お互いに支え合って一本しか植えなかった時の苗より二本とも太く丈夫な苗に育つことでしょうし、二本が三本になれば苗はきっと、もっともっとたくましく育つことであろうと思います。
存在が巧まずして支え合うことになるのです。
私は総ての人が、いまここに生かされている、もっと大袈裟にいうと総ての存在が今そこにある、そのことが、大きな役割そのものと思っています。
「すでに世の中にはそれぞれの区切り方に違いがあっても、見事な『二つ目の人生』を営んでいる先輩方が沢山おられます。疾病に続く障害というそのこと自体、私などには想像もできない大変不幸な出来事、その出来事を人生の大きな区切りとして『二つ目の人生』を雄々しく歩んでおられる丹沢会の面々諸氏も、私にとってはかけがえのない人生の先輩です。会合の度に、皆さんの生き方の見事さに感動を覚えると同時に生への新しい発見があります。
『二つ目の人生』の旅で、そこに行くといつもほのぼのとした暖かい風に逢える。丹沢会はいつまでもそんな集まりであることを願っています。」
私を一本のライ麦の苗に例えれば、丹沢会そのものの存在が、私という存在を支える根っ子の太い幹に相当することを、こうしてお話ししていると、つくづくと身に染みて感じます。
以上、生きることの尊さと意義とをお話しました。
さてこの辺で標題の「生きることの易しさと難しさ」のお話をしなくてはなりません。
誰しも、生きることは大変難しいことは重々承知しながらも、それでも、何とか易しく生きたいなーと願うのは人の常です。
ではどのように気持ちを整え、どのように行動したら易しく生きられるのでしょうか。
その答えを今求められれば、やはり“いい加減”に生きることですよ、というお答えになるかと思います。丹沢先生は“いい加減”が好きだなーと思われるかもしれませんが、事実“いい加減”が大好きなのです。それもチャランポランという意味も合わせてのことです。
“良い加減”に考え、“良い加減”に行動する。そして結果は“良い加減”であった。この一連の流れを導くものに、私はその人の直感があると思っています。直感というと、なにか根拠が薄い勘の働きのように聞こえますが、私はその人の人間として生きてきた歴史の上に築かれた経験に裏付けられた、立派な判断力と考えています。“良い加減”はその判断力から生まれるものと思っています。私の経験からして、その判断力は、多くても二十%ぐらいの狂いしかないと思っています。ですから直感を信じてよいと思います。つまり易しく生きるコツは直感に従うことです。その結果、間違ったらあきらめるより仕方がありません。その結果も実は自分にとって“良い加減”であったのだと。
私の直感の二十%の狂いの中に、丹沢会二代目会長の玉川さんがいます。玉川さんを診察したのは発病後まだ数日しかたっていないときでした。診察した途端、「これはだめだ」と直感し、その場で奥様に、妻と夫との役割交代、つまり家計の担い手の交代を進言しました。しかし結果は、私の直感はもののみごとに外れ、玉川さんは現職に復帰し、立派に定年まで勤め上げ、その間、フランス語の武者修行にパリに旅するなど、仕事に趣味に誠に“良い加減”な生活を送っておられます。
私の直感の記念すべき例外です。しかしこの例外は、次の私の“いい加減”の判断ミスを少なくする貴重な糧となりました。
このような例外はありますが、しかし大方の“良い加減”は直感に従って良いのではないでしょうか。我々を生かしている大いなる力は、人間の直感が八十%も狂うような、でたらめなものを与えているはずはありません。それは、今ここに生きている、そのことが歴とした証拠です。
最後になりましたが、丹沢会は、一人でも多くの人に、生きている意義と、生かされている尊さとを分かち合えるような会、そして明日を生きる力を与えてくれるような会、今も、そして将来もそういう会であって欲しいと願っています。